Archive for the ‘ちょっと考えたこと’ Category

「ヒマだ」という人

土曜日, 3月 4th, 2017

私のまわりに「ヒマだ」という人がいます
仕事をしていない人で、だんなさんの稼ぎがいいから何もしなくてもいいみたいで、自分のために時間が使える人みたいです
その人が「ヒマだ」と言います
たしかに、仕事していなかったら時間はたっぷりあるだろうなと思います
でも、「ヒマだ」と言いながら、じゃあフルタイムで働いている人が子供会とかPTAとかの役員だったとき、自分はヒマだから代わりにやるよなどとは申し出てはこない
「ヒマだからやれるよ」「やることあったら言って」とは言うのだけど、向こうからは「私やるよ」とは言ってこない
頼めばやってはくれるけど、「任せて!!」という感じではなく、「あーうん、わかった〜…」という感じ

要するに…ヒマかどうかと、やるかどうかは関係ないんだなと思いました
仕事してて忙しくてもやる人はやるし、時間がたくさんあってもやらない人はやらない…ただそれだけ
まわりの人がたいへんそうなときって、「どうにか時間作って手伝ってあげよう」と思うものだと思っていたけれど、やらない人というのは自分の都合を変えたり制限してまでやろうとは思わないみたいです

仕事をしていないとか、自分のやりたいことがあるとか、それは人それぞれだし、そのことでどうこう言うつもりはないけれど、だったら「ヒマだ」と言わないでほしいなと思います
忙しいのに子供会とかPTAとかの役員になってしまって、何とかやりくりしているのに「私ヒマだからさ」と言われるとさすがにカチンと来る
まったくやらないわけではないので、「あの人は何にもやらない」とまでは思われず、「それなりにやってはいる」という印象で、やっているときにはなぜか目立つので、得だなあと思います
何となく…いろいろ抱え込んでバタバタしている私が、仕事もせずに自分のために時間を使えているヒマな人をやっかんでいるだけのような気もして、それもまた複雑ないやな思いがしてしまうのだよね

もうひとり、「ヒマだ」という人がいます
仕事している人で、あれこれやっている人で、そんなにヒマじゃないんじゃないの?と思う感じの人です
自営業なので平日の昼間に時間が空いたりする感じです
その人は時間が空くと「ヒマだ」と言います
そして私に「ヒマでしょ? 遊ぼうよ」と言ってくる
いやいや、ヒマじゃないよ、と言うと、「時間は作るもんだよ」と言われる
私は在宅で仕事をしていて、何か予定があるときは前倒しで仕事をしたり、早朝やったりして、調整できるので、平日の昼間でも動けるのだけど、それを「ヒマでしょ」と言われる
そう言われると何とも言えないイヤな気持ちになります
みんなそれぞれ忙しい中時間のやりくりしているんだし、私だけじゃないからと思うから、忙しくても「忙しいんです私」というオーラを出すのってあんまりよくないなという気持ちがあります
だから、自分から「忙しい」というアピールはしないようにしています
その結果「ヒマでしょ」と言われると、なんだかなあという気持ちになります

「ヒマ」という言葉が心に引っかかって、いろいろ考えていたんだけど、そういえば私は「ヒマだな」と思うことがないなと気づきました
あれこれやることあって忙しいというのもあるけれど、たとえばぽっと時間が空いたとき、「ヒマだ」とは思わず、「あ、この時間にこれやっちゃおう」とか「ずっとやれてなかったあれをやる時間があるな」とか、そんなふうに思います
自分のしたいことをする時間イコールヒマな時間というわけではないんじゃないかなと…
「ヒマ」というのは、何もやることがなくてつまらない時間って感じがします
日々の生活の中でやることに追われていて、やりたいことをするというのは私にとってはぜいたくなことで、めいっぱいやりたいことできるわけじゃないから、ヒマだなんて思わない
もしたとえば、ソファに寝っころがってテレビを見ているとしても、それは決して「ヒマな時間」ではなく、「のんびりするぜいたくな時間」だと思うのだよね

男性が女性を誘うとき、「ヒマだから遊びに行こう」と言うのは気があるからだと聞いたことがあるけれど、そうなのかな?
「ヒマだから」というのはちょっと引っかかる
「私は暇つぶし?」と思ってしまわないかな?
本当に気があって一緒に過ごしたかったら、忙しくても時間作って時間合わせて合うものじゃないかな?
そもそもヒマしているオトコとはどんな仕事しているんだろうかね〜

「ヒマだ」という人のことを考えて、「私ヒマだから」とか「あなたヒマでしょ」とか言うのはよくないなあと思いました
ふつうにしてても言わない言葉だけど、言わないようにしようと思います

厄年?

月曜日, 2月 27th, 2017

今年度いろんな病気をして、PTAも子供会も役員を引き受けるはめになって、ほんとに忙しい日々を過ごしてきたけれど、あるときに母に「厄年みたいなものだよ」と言われました
私の母は、たとえば姓名判断とか占いとか、そういうものは一切気にせずにいる人で、私もそういうのを気にしたことはないので、そんな母がそんなことを言うのはほんとに驚きでした
でも、厄年っていうのは単なる迷信とかそういうものではなく、体が変化するときで体調を崩しやすいということらしいです

私は今年43になるのですが、40代に入ったあたりからちょっとした体調不良の症状が長引くというか、「あれ、なんかずっとこんなんだな」と思うことが増えてきた気がします
世間一般で言うところの厄年が何歳なのかわからないけれど、昔の人がこれくらいの歳になると体調が変化して不調になりやすいっていうのを気にかけて気をつけて生活するようにと、「○歳は厄年だから」といい伝えるようになったんだろうなと思います
それに、そういう変化が起こるときに、私みたいに子供会とPTAの役員をやることになってしまうといったような「泣きっ面に蜂」状態に陥ることってあって、悪いことは重なるというか、そこに「なぜ?」という疑問が生まれたとき、「厄年だから」と言われると、ああそうなのかと妙に納得して安心するというところもあるのかもしれないなと思いました

何か自分に不幸ばかりが続いているとき、「なぜだろう」と人は不安になります
自分はこういう不幸な星のもとに生まれたのだろうかとか、前世がとか、よくない霊が取り憑いているのではとか、ふだんなら思いもつかないことをふっと考えてしまったりするものなのかも…
そういうときに何の根拠もなくても、「これこれこうだからですよ」とズバッと言われると、「あ、そうなの?」と思い、そんな気がしてきたりするのかもしれません
こういうときに悪い宗教に出会うとたいへんなことになるんだろうね〜

私は厄年を全面的に信じきっているわけではなく、お祓いをする気もさらさらないのだけれど、体調が変化するときだから気をつけなくてはいけないというのはたしかにそのとおりだと感じています
何かたいへんなことが立て続けに起こったとき、変な方向に理由を見出してしまわないように、「今はそういうときなんだ」と思うようにすると、「今だけなんだ」と思えて変に落ち込んだり考えすぎたりしないで済むような気がします
私の身に起こった副鼻腔炎・ストレートネック・膀胱炎も、ひとつひとつを見ればなるべくしてなったわけだし、子供会やPTAの役員も重なったのはたいへんなことだったけれど、一緒にやってほしいと思われているのだと受け止めれば、違った見方もできるように思います

何事も気持ちの持ちようというのはかなり大きいです
なぜ私ばかり?と思っているとどんどん気落ちしていくし、楽しむなんてできないし…
落ち込むときは落ち込んでもいいけど、それをずっと引きずっていくのは精神衛生上よくないし、それがさらに不幸を招いたりもするのかもしれません
そんなとき「厄年なんだよ」と言われて、「ああそうなんだ」と妙に納得というか安心というか、そんな気分になって、「それならしょうがないか」と前向きになるってこともあるのかなと思いました
ただ、人によってはお祓いしなくちゃとか、除霊してもらわなくちゃとか、気になりすぎてますます不安になることもあるのかもしれませんが…
私の場合、もともとそういう類のものを信じていないので、いいとこ取りだけして入り込みすぎることはないんじゃないかな〜?

そんなこんなで「厄年の一年」は終わりに近づいているもしくは終わったはず
これからはきっといいことたくさんあると思ってウキウキしてます♪

役員決め

土曜日, 11月 21st, 2015

来年度娘は小学校6年生になります
6年生の保護者の中からPTAの副会長・書記・会計を選ばなければならず、副会長を引き受けた友だちからお願いされて書記を引き受けることになりました
PTA委員はやったことがあったけど、役職となると忙しさも倍増するし、でも誰かがやらなくちゃならないし、友だちからのお願いだし、どうせやるなら気の合う人とやりたいなと思って…

子供会のほうも6年生になる保護者から会長・副会長・書記・会計・地区委員2名・体育委員2名を出さなければならず、でも私はPTAの書記を引き受けたから、こっちは免除になると思っていました
やるとしても体育委員かな〜くらいに思っていて、もし人数が足りないなら何かやらなくちゃいけないだろうなとは思っていました

で、先日子供会の役員決めがあったのだけど、これがひどかった!!
全部で9人いたのだけど、出産されたばかりの人1名・以前子供会会長をやった人1名・PTA役員を引き受けた人2名
会長経験者は免除という決まりがあり、この人は体育委員をやりたいと言って、これはほぼ決定
考慮すべき人以外の5名で会長を決めることになったのだけど、この中の一人が、「私は以前PTA役員と子供会の役員を同時にやったことがあるので、PTAやることになっていても会長以外の役員決めには参加してほしい」と発言
私、鳩が豆鉄砲食らったような顔をしてしまいました

それで…会長がくじで決まり、会長になった人と仲のいい人が副会長を引き受けてくれ、ここまではよかったのですが、書記と会計を決める前に「私体育委員やりたい」「私は地区委員がいい」と名乗り出た人がいて、役員決めを進行している現在の子供会会長さんがそれをそのまま書き留めて決定になってしまい、会計は以前会計をやったことのある人が引き受けてくれたけど、書記はなぜか私という流れになってしまいました

役員決めをしたあと、現状が把握できず、放心状態だったのだけど、時間が経つにつれて怒れてきてね〜
他にやれる人がいないのならPTAやってる人も何かやらなくちゃいけないっていうのはわかるけど、他にやれる人がいるのになぜ私が書記???
会長副会長が決まって、そのあとは先に書記や会計を決めるのに、なぜ地区委員や体育委員を先に決める???
あの状況で先に「地区委員やりたい」「体育委員やりたい」と発言できるのはなぜ??
単に希望を言っているだけなのに、それが決定になってしまって、進行している現会長さんは「はいはい〜」と書き留めちゃって決定っておかしいでしょ!!!
PTAって仕事と違ってみんなのための仕事だし、せめて会長・副会長・会計・書記は免除してもらいたいよ〜
自分がPTAと子供会の役員同時に引き受けたことがあるんなら、それがどれほどたいへんなことかわかっているんだし、だったらむしろ「PTAやる人は免除してあげよう」って言うものじゃないのかな?
なのに「私もやらされたから他の人もやるべき」っていうのはどうなんだ??
まるで「叩かれたら叩き返す」みたいな感じだと思うのだけど???
PTAの仕事の方が子供会の仕事よりも数倍たいへんなんですけど!!!

…と不満爆発
ここ数日、人間不信に陥ってしまい、みんなにハメられた感いっぱいで過ごしていました
友だちに話すと誰もが「おかしいよ〜」と言ってくれて、わかってもらえるのは本当に救いで、話聞いてもらえるだけでうれしかった

あの話し合いのときに自分が主張すればよかった、と何度も思ったけれど、いろいろ考えてもやっぱり何も言えなかったな、と思うのだよね
役員をやらなければならない立場にある以上、そう言った発言は結局のところ「自分はやりたくない」につながってしまうわけで、やっぱりそういうのは言えない
ま、言えてしまう人は楽な役についてるわけで、言ったもん勝ちなんだなあという気もしてしまいます
そういうことは進行役の人が言ってあげないといけないことじゃないかな?

せめて…進行役の現会長さんが「いえいえ、先に書記と会計を決めましょう」と言ってくれたら、違っていたかもしれない
でももうすでに遅し…
これから役員を決めなおすわけにも行かないし、断れない状況だったとはいえ引き受けてしまったわけだし、どうのこうのするつもりはないけど、何この貧乏くじ引いた感!!
世の中うまいこと逃げる人ってどこにでもいるけど、ほんとうますぎる
でもみんなから非難ごうごうで、逃げた2人のことはみんな怒っているというのがせめてもの救いかな〜
逃げた2人のことは、はじめからそうするだろうとある程度予想はついてはいたものの、やっぱりか…とみんな呆れている状態

こういうことがあるから、役員決めっていやです
みんながみんな、まわりの人たちのことを考えてくれているのならいいけど、自分のことしか考えていない人・自分さえよければいい人がいると、ほんと嫌な思いをする
でも、こういう人が役員になったら、きっと他の役員の人たちが苦労するんだろうし、それを考えるとよかったのかもしれないけれどね…逃げた人たちには地獄に落ちろと思ってしまうわ

来年度、いったいどうなることやら…
読み聞かせボランティアもやっているし、仕事もあるし、息子の療育もあるし、バタバタになりそうです
でも、仕方がない、やるしかないのだよね

来年度、次の役員さんを決めるときには、しっかりと仕切って「PTAをやる人は免除してあげてください」と言おうと今から心に誓っています

人質解放のこと

土曜日, 1月 31st, 2015

このところずっと大きなニュースになっているイスラム国に人質として囚われている後藤さんのことは私もかなり気がかりです

人質をとって要求を突きつけるやり方はフェアじゃないし、一方的すぎるし、何より人の命を盾にとるのはいちばん卑怯だなと思うのだけど、イスラム国の人たちって自爆テロをしたり、自分自身の命を犠牲にしてでもやってやろうっていうハードコアなところがあるから、彼らにとっては人の命が何よりも大切っていうわけじゃないのかもしれないなあと思ったりもします

すでに殺害されてしまったであろう湯川さんのことはもう話題に上らなくなっているのも「うーん」と思う
殺害されてしまってからではなすすべがないのだろうし、まだ生きているであろう後藤さんの解放を優先するのは当然だとは思うけど、湯川さんのご家族はどんな心境なのかと思うと、ちょっと心が痛くなります

ヨルダン人パイロットと後藤さんとどちらの救出を優先するかで議論にもなっていて、同じ人の命なのに優先順位をつけねばならないことにも複雑な気持ちになるし、でもヨルダンとしてはやっぱり譲れないだろうなとも思うし…

アメリカはテロリストとの交渉に乗ること自体に批判的で、私はそれも一理あるとは思うのだよね
こんなことをしていたら、イスラム国はますます人質を盾にあれこれ要求してくるだろうし、「人質を立てても要求は通らない」の一点張りで行けるのなら、イスラム国も行き詰るはず
でも、それじゃあ人質の命が犠牲になってもいいのかと問われると、やっぱり人間として何もせずにいることはできないし、そこがイスラム国が人質を立てる理由でイスラム国の思惑通りにつけ込まれているってことなんだけど、どうにかして助けたい・助けなくちゃっていう気持ちになるのは当然だとも思います

イスラム国やヨルダンと水面下で交渉が続いているのだろうけれど、なかなか情報として入ってこないのは不安を感じるし、でも逐一状況を説明することもできないのもわかるし…
それでもなんとかして情報を得ようとマスコミがあれこれインタビューしたり、ワイドショーなどで状況を予測したり、それも必要なのかもしれないけど、情報が錯綜してしまったり、せっかくの交渉がマスコミの介入によって良からぬ方向へ行きはしないかと心配になったりもします

イスラム国のやっていることはどう見ても感心しないけど、どうしてここまでになってしまったのかを考えると、アメリカだってかなり関わっているはずだし、一方的にイスラム国が悪いとも言えないんじゃないかなあ…まあ今言うべきことじゃないのだろうけど

でも、何よりも私の心に引っかかっているのは、後藤さんが解放された後のこと
以前中東で日本人3人が拘束され、のちに解放されたとき、日本国内で3人に対する批判・非難がものすごかった
「行くなと言われている危険なところに行って多くの人に迷惑をかけた」ことに対する批判は、他の国の人には理解できないことみたいで、海外の友だちに「日本人はどうしてあんなふうに批判するんだ?解放されて無事帰ってきた…それでいいじゃないか」と言われたことがありました
日本人は「すまない」という気持ちと「ありがとう」という気持ちの境目があいまいなだけに、「助けてくれてありがとう」と感謝の気持ちを表すだけでは不十分だと思うのかもしれません
後藤さんは使命感と覚悟を持ってシリアに入ったのだろうけど、自己責任だけでは済まされない事態になってしまって、「どんな理由があるにせよ、やっぱり行かないほうがよかったんじゃないか」という気持ちは私にもあります
ただ、批判・非難する気持ちよりも「無事に解放されてよかった」という気持ちのほうをより強く感じられる人間でありたい、かな?

まだ事態は先が見えず、不安と焦りばかりが募っているけれど、なんとかいい方向に行ってほしいです

ヤフオク

金曜日, 11月 7th, 2014

このあいだ工業用ミシン糸をヤフオクで落札したのだけど、「ムムム…?」と思うことがあったのよね
なんせネットオークションははじめてだったので、どれくらいの価格が妥当なのかイマイチよくわからず、適当に3,000円くらいまでかな?と思っていて、それ以上の価格になったらやめようと思ってました

ずっと前に弟から「ヤフオクでナビを落札してくれ」と頼まれたことがあり、頑張って入札していたのだけど、どんどん値段が上がっていき、「これってちょっと…」と思い始めて、それ以上入札しないことにして落札をあきらめ、そしたら翌日に「落札者が購入を辞退したので代わりに購入しませんか」なんてメールが来て、なんだか怪しいなあと思い、これがいわゆる値釣りってヤツなのかなと思った経験があったのでね…

私なりに警戒しながら、工業用ミシン糸を検索し、その中でも入札が多そうなもの(入札が多いものがよいのかなと思った)の詳細や出品者の評価などなどを見て、これかな?というのをひとつだけをピックアップし、入札しました
この時点で1,400円でした
翌日見たら1,700円になっていたので、再度入札し1,800円に…
けっこうライバルが多そうだなあと思い、なんだかドキドキしてきて、オークション終了間際に入札するのがよいかなとそれ以降は入札せずにいました
入札終了間際に見ると、3,000円になっていて、予算は3,000円だったけど、一回だけ入札してそのあとはようすを見よう、もしガンガン値段が上がっていったらあきらめよう…そんな気持ちでオークション終了のちょっと前に再度入札し、3,100円に…
ライバルたちが続々と入札してくるんじゃないかとドキドキしながら待っていたら、あっけなくオークション終了
「おめでとうございます。あなたが落札しました。」というメッセージが出てきて、拍子抜けしてしまいました
落札できてよかったけど、なんだか狐につままれたような気分でした落札して、出品者とやり取りして、トントントーンと進んで無事に商品が届いて、とてもスムーズではあったのだけど、後になって入札履歴を見て、愕然としてしまいました

例えば、こんな感じで、1分のあいだに2人の人が入札しあってどんどん値段が高くなってる

こういうのが他にも何度も何度もあって、値段が上がっていき、入札数も増えていっていました
これってもしかして…さくら??
私、餌食になった??
うーん…

いろいろ調べたんだけど、短時間にたくさん入札が入るのは、「ここまでなら払ってもいい」という金額を入力しておくと、他の人が入札してきたとき自動的にその金額まで入札するという「自動入札」なるシステムを使っているからみたい
この場合、eri*****さんが960円、ima*****さんが950円の金額を入力しておいて、お互いに自動入札しあってeri*****さんが960円を入札して最高入札者になった、という感じらしい
なので、短時間に金額が上がっていくのは即「おかしい」というわけではないみたいです

でも、「自動入札」をした人たちが結局はその後入札せず、終了間際になっても入札されることもなく…っていうのはなんだかおかしいなという気持ちはすごくある
悪質ってほどじゃないけど、やっぱり値釣りされたようなそんな気がしてならないのだよね

出品者の履歴などを見ると、落札者からよい評価を得ているし、私とのやり取りも手慣れた感じで、まるでお店とやりとりしているようなかしこまった感じで、履歴や評価を見る限りまったく問題は感じられませんでした
強いて言えば…終了したオークションに投稿してあった画像が終了後すぐに削除されたのが気になる…
なんでそんなことするんだろう…保存できる画像に制限があるのかどうかはわからないけど、せめて落札したものが私の手元に届くまでは画像はアップしておくべきだと思うのよね
この人の出品履歴を見て画像が削除されるのはわかっていたので、前もってPC内に画像を保存しておきました
もし仮に落札したものと違ったものが届いた場合に備えて証拠は掴んでおかねば!!と私なりに警戒感はあったのだけどもね〜

3,100円という金額は私にとっては妥当だと思ったし、ほぼ予算どおりだったし、ミシン糸100本だから1本あたり31円という金額でこれ自体には満足しているのだけど、もしかしたらもっと安く落札できたのかも…と思うと、なんだか嫌な気持ちになります
他にもほしい人がいて、その結果この金額になったのなら全然構わないのよね
でも、もし値釣り行為をしたのなら、やっぱりそこは許せないという気持ちになります

で…今回学んだこと
「入札はオークション終了間際になってからしたほうがいい」ってことかな?
私みたいにちょろちょろ入札しちゃうと、「あ、この人買う気あるかも…」って値釣りされてしまうかもしれない
間際になってからのほうが値釣りするのもついていなくちゃいけなくてたいへんになるだろうし、オークションで値釣りしようとする人はいろいろ出品しているからすべての商品につきっきりってわけにもいかないし、「これは落札者出て来なそうだな」と思わせておくといいのあかもしれないなと…

あと、評価だけでは判断できないところはあるってことでしょうか
出品履歴の詳細を見て、同じような名前の人が自動入札で値を上げているようなら要注意ですよね
IDはeri*****みたいにわかりにくくはなっているのだけど、それでも手がかりにはなるかなと思います

もし仮に終了間際にどんどん値が上がっていくなら、もうすぐにあきらめたほうがいいと思う
予算を決めておいて、それ以上は絶対に入札しないのが大切なんだろうな
こういうときって、競争意識が芽生えちゃって、「ナントカ落札したい」「負けるもんかっ!!」って思っちゃうものだけど、そういう気持ちを抑えないとたいへんなことになりそう

とまあ、こんなのはオークション初心者のたわごと程度なのだけど、もしどなたかのお役に立てれば…といろいろ書いてみました

でも、工業ミシン糸は本当によかったです
こんなに大量にあるとどんな色の布が来てもどんと来いって感じで…
これから先またヤフオクで購入するかはわからないけど、もっと賢く落札してみたい気はしてます

FIFAワールドカップ

木曜日, 6月 26th, 2014

いつも早起きして朝仕事をしているので早起きはFIFAワールドカップ観戦のためじゃないのだけど、昨日の朝はやっぱり気になって、テレビで観戦しつつ仕事してました
決勝進出のわずかな望みを懸けてのゲームだったけど、世界の壁は厚いなあというのが正直な感想です

コートジボアール戦も朝の支度をしながら観戦し、ギリシア戦はウォーキングしながらケータイで観戦し、最後のコロンビア戦も仕事や朝の支度をしつつの観戦
なんだかんだと気になってハラハラドキドキしてました

監督の戦術や選手起用などなど、予選リーグ敗退の原因・責任を追求する声もあるけれど、日本はまだまだそのレベルには達していないってことなんじゃないかな
もちろん戦術とかも大切だし、そこにまったく原因がないわけじゃないのだろうけど、日本のサッカーは発展途上にあるのだなあと感じました
そういう中で闘った選手たちには心からお疲れさまを送りたいです

いつも思うのだけど、マスコミって批判するのが仕事なのかなあ
ネットニュースで読んで、今回探したけど見つからず…なのですが、昨日読んだ記事で「マスメディアの役割」を語った記事がありました
マスメディアは選手の発言をそのまま流すのではなく、「その発言はおかしい」などと問いただして行くべき、みたいな記事でした
私は「うーん」と思ってしまうのよね
マスコミの役割って、まず第一に情報を正確に伝えることじゃないのかな
取材する上であれこれ思いや考えが出て来るのは自然なことだけど、それが本来の役割じゃないと思う
それ以外の役割を強いて言えば、選手の本音を引き出すような質問を投げかけることだと思う
選手に対してだけでなく、失言した議員や疑惑のある芸能人に対し、取材している自分たちに謝罪の言葉を手向けることが当然だという態度を取る「人権屋」みたいなマスコミはどうなんだろうと常々思っているのだけど、そこにマスコミの意義を見出している記者たちはけっこう多いような気がします

原因や責任追及はサッカー関係者がやればいいことだし、当の本人がいちばん感じていることだと思うし、もちろん「頑張った頑張った」だけを伝えろとは言わないけど、批判記事を見ているとやだなあと思ってしまうのよね
イタリアやドイツなんかもけっこうこてんぱんに書いているっぽいし、韓国なんか日本よりももっとひどそうだし、まだマシなほうなのかも知れないのだけどね…なんだろう…名指しで批判しているのを見ているのってなんかすごく気分悪くなっちゃうのだよね

本田選手が「優勝を目指す」と発言したのも批判されてたなあ
日本が優勝だなんてへそで茶が沸いてしまう発言なのだろうけど、「優勝=どの試合でも絶対に勝つ」という意味で、一試合たりとも負けたくはないという気持ちの表れだと私は理解していますが、違うのかなあ

本当にファンで愛情をこめて「ああしたほうがいい」「こうしたほうがいい」と語り合うのには「愛」を感じていいなあと思う
なんだかんだ言って日本代表になるってほんとすごいことだし、今日本でいちばんうまい人たちが集まっているんだもん、もうちょっと温かい目で見守ってほしいなあ…と思うのだよね〜

あと、ギリシアのこと
日本vs.コロンビアの試合の裏で行なわれていたギリシアvs.コートジボアール戦もちょうどギリシアがPKを獲得したところを見たのだけど、ギリシアの選手、自分の足またはグラウンドにつまづいて転んでいたように見えたのは私だけ?
あれでPK、しかもそれで決勝点、そして決勝トーナメント進出って、いいのかなあと思ってしまったよ

あと、ギリシアって、「ギリシャ」って書くのかな?
私はギリシアって書いてギリシャと読んでいたけど、違うのかなあ…わかんない〜

そうそう、そう言えばおもしろい動画を見つけてね…
子どもたちと何度も見て大爆笑してしまいましたよ

コロンビア、おもしろすぎ
今回の日本との試合の実況も聞いてみたい

娘は「ハブラシ、ゴーシゴーシ」に大ウケでした

セクハラやじ

火曜日, 6月 24th, 2014

東京都議会で女性議員が発言しているときに「早く結婚しろ」とか「産めないのか」と言ったヤジが投げかけられたというニュースが話題になっていますが…こういう女性差別というか女性蔑視みたいな発言に対し、鬼の首を取ったかのように責め立て上げるという気持ちにもなれないのだけど、なんていうか、当の議員もこの議員が所属する政党も何とも歯切れの悪いこととこの上ない

まず、誰が言ったかの特定が全然できてないっていうのがおかしい
議員はそれぞれ決められた席に座っているわけだし、ヤジを飛ばした議員の隣の人は誰が言ったかはわかっているはず
都議会議員に聞き込みすればすぐに上がってきそうなものなのに、それがない
「あーめんどくさいことになっちゃったな〜まあ収拾付かなくなったら動くか〜」と思ってる気がする
その議員を特定しようっていう気持ちがないように感じるし、まわりの議員も「そんなことを言うべきではない」と注意なり進言なりしているようすもない

やっとこ「早く結婚しろ」と言った議員が判明しても、都議会自民党の吉原修幹事長の会見の歯切れの悪いことと言ったら見ていて溜息が出てしまう
「ボクチンは悪くないんです」とでも言いたげな即席無表情で党全体の責任は認めたくないようす
あくまで一議員が個人的なヤジを飛ばしただけです、ということで幕引きをはかりたいって感じが見え見え

セクハラやじを飛ばした議員に対しては怒りや呆れを通り越して「もうあんたはええわい」という気持ち
「ザ・議員の謝罪」といった感じで、都合が悪い質問には「申し訳ない」の一点張り
やけに「とりあえず」という言葉が多いのが気になったけど、「とりあえず」ってあんまりいい言葉じゃないよね〜

それよかまわりの対応にガッカリしてしまう
自民党も都議会も「あんまり触れたくない」ムードって感じ

議員さんってそれなりに博識高い人たちがやるもんだと思うのだけど、「これは言ったらまずいな」ってこともわからない人がけっこう多そうだし、そもそもまずいことだなんて思っていないんじゃないかと感じるようなものの考え方をする人もうようよいる気がする
私もたまに「なんだこのくそハゲオヤジ」なんて思うこともあるけど、口に出して言っちゃいけないことくらいはわかる
かといって思う分にはいいんだもーんと開き直っているわけじゃないけれど

これが男性の本音なのかな、と思ったり…
ま、当たらずも遠からずなのだろうね
オスというのは常にメスよりも優位でいたいという気持ちが本能的にあるらしいから
だから依存心が強いくせにひとりよがりだったりする
本能だから仕方がないと言ってあげたいけれど、人間は野生のライオンじゃないんです
物事の分別がつかないような野蛮人は議員になんてならないでほしいなあ

それにしても、ほんと失言多いよね、議員さん
「最後は金目でしょ」もびっくりだったわ
こんなこと言っちゃう人たちに日本の未来を任せてよいのでしょうか
集団自衛権とか、そんな大事なこと決められるのかな?
なんだか心配…

社説みたいなこと書いちゃいました

ベビーカーを畳むべきか?

火曜日, 1月 21st, 2014

このあいだテレビのニュースで路線バスの中でベビーカーを畳むべきかというトピックスについてやっていました
混雑しているときにベビーカーを畳まずにそのまま乗せていると場所を取るので他の人に迷惑がかかる…という内容でした

サラリーマン風の男性はインタビューに、「畳むべきだと思います」と答え、ベビーカーを使っている女性は「畳めないです。混雑している時間は避けて乗っています」と答えていました

私はあまり公共交通機関を使わないほうで、もっぱら車での移動が多く、なかなか身近な問題としては捉えにくいのだけど、昔子どもたちがまだ小さくてベビーカーを使っていたとき、ベビーカーは便利だけれど、大きさや動きに不便さも感じていたのを覚えています
私が持っていたベビーカーは片手で畳んだり広げたりできるコンビ製だったのだけど、実際には片手ではちょっと難しいなと感じました
まあできないこともないけど、けっこうコツがいるし、パパパッというわけには行かず…
ベビーカーに子どもを乗せてオサンポするだけならいいけど、ベビーカーを押しながら買い物などをするのはなかなかたいへんで、車の中や玄関に置くのもかなりスペースを取るなあと感じていました
だから意外に場所を取るベビーカーを畳むべきだという気持ちもわかるし、ベビーカーは畳めないよという気持ちもわかるのよね

ただ、私が思ったのは…混雑しているバスというのは当然人がたくさんいるわけだし、手伝い手はたくさんあるはず
ベビーカーを畳みましょうという方針になるのなら、まわりの人が手伝ってあげればいいんじゃないかなと思うのよね
ベビーカーに寝ている赤ちゃんを抱っこし、荷物を肩にかけ、片手でベビーカーを畳んで乗車している姿を見て「そうして当然」とサラリーマンたちが思うのなら、これはおかしいかなと…
ベビーカーを畳むのってコツがあるから、畳むのを手伝えないのなら荷物や赤ちゃんを抱っこしてあげるとか、当然席を譲るとか、そういう発想は生まれないのかなあ
テレビでは外国ではバス内にベビーカーを置くスペースがあってナントカカントカ…ということは言っていたけど、まわりのみんなが協力し合って…ということは言っていなかったので、「むむむー」と思っていました

そういえば昔、まだ息子が1才のころ、友だちの結婚式が京都であって、子ども2人を連れ、ベビーカーを押し、電車で向かったのだけど、エレベーターのない駅があり、「どどどどうしよう…」と階段の上で困っていたら、通りかかった男性が息子が乗ったベビーカーをひょいっと抱えて運んでくれたことがありました
あのときのうれしかったことと言ったら…
そのことは娘も覚えていて、今でもときどき「あのとき運んでくれた人、かっこよかったよね」と話しているほど
こういう感じでいいんじゃないの??と思ってしまう私です

スマホに機種変更

木曜日, 7月 25th, 2013

先日だんなさんがスマホに機種変更しました
笑っちゃうんだけど、「ケータイなの会社で俺だけだもん」「みんなスマホだもん」「今使ってるケータイが使いにくい」などと、まるで小学生がおもちゃをねだるみたいなことを言い出しまして、あきれてしまいました

正直、本当にスマホを必要としていて機種変更する人って少ないんじゃないかと思います
どの会社もスマホを使ってほしい(そのほうが儲かるから)と思っているから、スマホに機種変更してもらうべく、あの手この手でお得感を出しているけれど、いろんな割引はあるけれど、割り引いてもらったとしてもそれなりの高い料金を支払うことになるわけで、実際にはお得ではないにもかかわらず、「機種変更するならスマホしかない」みたいな感覚に陥ってしまう…そんな感じのような気がします

私のまわりもスマホユーザーが増えていて、「よくわからない」と言いつつもみなさん楽しそうに操作しているように見えるのよね
私は世間の流れに逆らってケータイに機種変更したけど、お店の人が「ケータイに機種変更でよろしいんですよね」と何度も確認するほどだったし、そのことを友だちに話すと、「私もケータイ壊れてなきゃそのままでよかったんだけど…」と言うものの、しっかりスマホに機種変更しているわけで、何となく自分だけがおかしいことをしているような気持ちにさせられそうになったりもします

私としてはだんなさんがスマホに機種変更することに対してあれこれ言いたいことはあったのだけど、あれこれ言ったところで「そうか、そうだよな、スマホはやめておこう」とだんなさんが思ってくれるとは思えず、不機嫌になってたいへんな思いをするのは私なのは目に見えていたので、「変えたきゃ変えれば」と言い放ったところ、auショップに行き、店員さんと話しているうちにあれよあれよとiPhone5への機種変更が決まったのでした

よりによってiPhone5とは何ともミーハーな…とますますあきれてしまったのだけど、まあそれは口には出さず、機種変更手続きに立ち会った私
それでびっくりした
何て言うか、よくわからなーい
税金の仕組みもそうだけど、わざとわかりにくく作ってるんじゃないかっていうほどわかりにくく、よくわからないオプションがいっぱいあって、機種変更のときに入らなくちゃいけないオプションってのもたくさんで、わけもわからないままいろんなオプションに入る羽目になり、当然月々の基本料金も上がっていました

いちばんよくわからなかったのが、割引をしてもらうために、

1:もうひとつケータイの契約をする
2:auのクレジットカードを作る
3:お店で5,250円相当の買い物(スマホのアクセサリなど)をする
4:タブレットも契約する

の中からひとつ選ばなくてはならないというもの
どれもこれも必要ないものばかりで、結局auのクレジットカードを作ることにしたけど、あほらしいなあと思うのだよね
こういうクレジットカードがいくつあることか…
「使わなければいい」のだけど、いくつもクレジットカードを持っているのってあまりいい気分じゃないです
知らないうちに年間使用料が発生したりもするし、キャッシングだのリボ払いだのをするとポイントが…などとダイレクトメールが来たりもする
世の中借金をすることを推奨しているんじゃないかって思えてきます
数ヶ月経ったらこのクレジットカード解約してやろうと思っていますが、だんなさんのようにお金に疎い人は必要ないのに入らなければならなかったオプションなどもそのまま継続しちゃったりして、必要のない料金を払い続けることになるのだろうなあ…
でもこういう人は世の中に多いんじゃないかと思うのだよね〜

正直に言えば、私もケータイに機種変更したとき、「やっぱりスマホっていいな」と思いました
出先でネットが見られるのはきっと便利だろうし、家にいるときだっていちいちパソコンを立ち上げる手間がなくて便利だろうし、待ち時間などの暇つぶしには持ってこいだろうし、料金のことを考えなければスマホに機種変更したはず…
でも、今回スマホへの機種変更を目の当たりにして、「私には不必要な代物だな」と改めて実感しました
そりゃあ楽しいかも知れないけれど、必須アイテムじゃないし、料金の高さを考えるとそこまで価値があるものとは思えず…です
それでも世間は「スマホ使うのが当たり前」になっているわけで、いやがおうにも自分が「異常」だと思わされるのですよね

機種変更に限らず、例えば補助金や手当などでも同じことが言えるのだけど、割り引く代わりに負担が増えたり、手当がある分受けられないサービスや割引があったり、結局そんなにお得にはなってないってことが多い気がします
一見「国民にやさしい政策」も裏を返せばそうでもなかったりするし、言ってみれば詐欺っぽいことがあっちこっちで行なわれています
それに対して「そういうもんなんだ」と思ってしまう人があまりにも多くて私はびっくりするんだけど、みんなもっと賢くならなくちゃいけないんじゃないかしら??

先日広島で集団暴行して友人を殺害してしまった10代の子たちもLINEを使って会話していたことから当然スマホを使ってたんだろうし、生活が苦しいと言いつつもスマホ使ってる人、生活保護受けてるのにスマホ使ってる人なんかも多い気がします
本当に必要なもの・それだけの価値があるものを見極める能力がひどく鈍っているようなそんな気がするし、そうするのが当然で普通のことだと思わせるような世間の流れに対して疑問を感じています
もちろん人それぞれ価値観が違うから、私の感覚だけであれこれ言えることじゃないのでしょうけど、不景気だ・お金がない・将来が不安だと聞くわりにスマホは順調に普及してるんですもん…ようわかりません

それにしても…だんなさんは自分で変えたいと言ってスマホを購入したのに、思ったとおり使い方がよくわからずにイライラされるのにはかないません
スマホに対するイメージがますます悪くなる私…
メンドクサイったらありゃしないわ

失言の言い訳

金曜日, 7月 5th, 2013

ニュースを見ていると、失言で謝罪というのがずいぶん多いなと感じます
はじめは自分の言ったことは間違ってない・そういう意味じゃないと主張していても、まわりから批判されたりすると、一転して発言を撤回して謝罪…というパターンが多いですよね

そういった発言そのものも問題あるのだけど、それに対する言い訳がいつもいつもワンパターンのように思えます

たとえば…選挙戦で敗れた党のコメントは、「私たちの思いが国民の皆様に伝わらなかった」「私たちの政策をきちんと理解してもらえるだけの努力が足りなかった」などなど…
きちんと伝わっていれば選挙戦で勝てたのに…と言わんばかりに聞こえます
まるで国民がちゃんと理解しなかったから敗れたとでも言いたいのかしら…とも思ったり…

ブログでの失言でも、「私の表現力のなさを反省している」という言い訳
表現力云々の問題ではないんじゃないのかなあ…と思うのだけど、「あくまでも自分の考え方は間違っていない、でも表現が悪かった」という方向に持って行こうとしている気がしてしまいます

会議などでの失言では、「話し方がヘタだった」という言い訳
うまいとか下手とかそういう次元じゃないのだけどなあ…
これも「自分の言ったことは間違っていないけど、話し方がよくなかっただけ」という言い訳に聞こえてしまいます

日本を動かしている人たちが言われるまで気づかないほどアポチンな考え方を持っていること自体にもオドロキだけど、こういう言い訳で釈明しようと思っているところ・釈明できると思っているところに私は驚いてしまいます
少なくとも一般常識を身につけた人たちであるはずなのに、一般庶民に指摘されるとは何とも情けない…

それにしても最近はブログやtwitterで一般市民も意見を投稿できたりするので、いわゆる「炎上」と言うのでしょうか…そういう事態になることが多いですよね
コメントの攻撃を受けても仕方ないようなことをしてるのだから…とも思うけど、面と向かって意見は言えないのにブログなどではガンガン攻撃する人たちに対してもちょっと怖さを感じます
本音と言えば本音なのでしょうけど、まるで鬼の首を取ったかのように相手を攻撃するのってどうなのでしょうかね

ネットって便利で楽しいけど、怖くて陰湿でもあると感じます