先月祖母が亡くなりました
95年という長い人生…子ども3人・孫6人・ひ孫9人に恵まれた人生…いろんな方から大往生だと言われ、私もそう思いますが、やはりいろんな思いがあります
結婚してからは離れて暮らしていたけれど、一緒に暮らしていた人が亡くなるのははじめてでした
9月のはじめに母から祖母の具合が悪いと聞いていましたが、これまでもインフルエンザになっても肺炎になっても回復したという経緯があったので、今回もまた復活するんだろうと思っていました
だから母から祖母が亡くなったと聞いたときはほんとに驚いてショックでした
祖母は母方の母で、祖父と結婚してすぐに祖父が出征しました
戦争が終わって家に戻り、母が生まれ、祖父と祖母はお寺の境内地に保育園を開設しました
その後まもなく祖父はB級戦犯で巣鴨の刑務所に収容され、祖母は幼い母を抱いて面会に行ったと言っていました
祖父が出所し、母の他に女の子2人を授かり、2人で力を合わせて子育てとお寺と保育園を切り盛りしてきたそうです
母が大学生、いちばん下の母の妹が高校生のとき、寒い夜外から帰宅した祖父が胸の痛みを訴え、その日のうちに心臓発作で亡くなり、一家の大黒柱を失った祖母は、まだ学生だった娘3人とお寺と保育園を抱えて途方に暮れたといいます
祖父のサポートに徹していた祖母でしたが、親戚の助けを借りながらお寺の経営も園長代理としても保育園を続けたそうです
やがて母が結婚し、私の父が婿養子に入って住職・園長となり、やっと肩の荷が下りたと思ったら、嫁姑問題ならぬ婿姑問題を抱えて、家にいながらもつらい思いをしつつ、孫の誕生など喜びもあって、95歳になるまで必死に生き抜いてきたのだと思います
祖母からは小さい頃からいろんな昔話を聞いていました
おじいちゃんはとても働き者だったとか、結婚したばかりの頃はものがなくて、お鍋一つだけだったとか、家も台所と二間しかなかったとか、おじいちゃんが死んだときにはこれからどうやって生きていこうと途方に暮れたとか、幼い私にはなかなか想像がつかなかったけれど、わからないなりにも熱心に耳を傾けていた記憶があります
私は祖母にとってはじめての孫だったので、何かと祖母と過ごすことが多かったように思います
すぐ下の弟がわりと病弱で、母がよく病院に連れて行っていたので、私は祖母と家で留守番していることが多く、祖母の部屋で過ごしていました
私は3才のときに右腕を複雑骨折し、治るまでのあいだはずっと祖母の部屋で過ごし、そのときにひらがなを祖母から覚えたのだそうです
小さい頃からピアノを習っていたのですが、祖母とバスに乗ってレッスンに通い、お天気のいい日の帰りはバスには乗らずにお花を摘んだりしながら歩いて帰ってきたのを覚えています
私の娘が生まれたときにも息子が生まれたときも、誰よりも早く病院に見に来てくれて、退院したときには家の前で待っていて、私が車から降りるや否やひ孫を抱こうとして、そのときには「そんなにあわてなくても…」と呆れましたが、今考えてみると、そんなふうに喜んでくれたこと・心待ちにしてくれたことはほんとうにうれしいことでした
断片的に残るそういった記憶を今思い出してみると、愛されていたんだな、しあわせだったなと感じて涙が出てきてしまいます
祖母は5年ほどグループホームに入所していて、実家に帰ったときに会いに行っていましたが、ときどき行かないこともありました
でも8月の末に実家に帰ったときは、私と子どもたちと母で会いに行って会話もして、そうできたことは本当に救いだなと思います
もしあのとき、子どもがぐずったりして祖母に会いに行けていなかったら、きっとものすごく後悔しただろうなと思います
まさかあのあと死んでしまうなんて思いもしなかったけど、最後に会っておけてよかったです
祖母が亡くなって、先に通夜と火葬を済ませ、本葬は今月の半ばすぎでした
実家はお寺と保育園を経営しているので、平日は保育園があるし、土日は檀家さんの法事が入っているしで、本葬が延び延びになってしまいました
でも、これまで身内や友だちが亡くなったとき、気持ちがついていかないまま通夜・葬儀・火葬とどんどん進んでいってしまうことに戸惑いを感じていたので、本葬までのあいだ、祖母のことをじっくり考えることができたような気がします
通夜や葬儀を行うことで気持ちの整理がつくということもあるとは思うけど、祖母の死をしっかりと受け止めるための時間を持てたことはありがたかったなと感じます
本葬の数日前に、祖母と家族と一緒にマイクロバスみたいな乗り物に乗り合って旅行に行くという夢を見ました
リクライニングシートを倒して祖母を寝かせ、布団をかけて、私は祖母に添い寝して、私が「寒くない?」と聞くと、祖母は「あったかいね」と答え、実際にほんとうにあったかくて、眠っているあいだに、どこから光が当たっているのかわからないけれど、真っ暗な夜の闇がきれいにライトアップされているという、すごく素敵で不思議なところにたどり着いて…という夢でした
ちょうどそのとき、息子がおたふく風邪で高熱を出していて息子に添い寝して寝ていたので、祖母と息子が夢の中で重なったんだと思います
夢から覚めるとき、夢だったんだとわかっていたけれど、こうやって祖母のぬくもりを最後に感じることができてよかったなあと心から思えました
祖母はグループホームに会いに行くたびに、「家に帰りたいよ」と言っていました
私も母もそれを聞くのがつらかったです
本当なら家に連れて帰ってあげたいと思ったけれど、祖母を介護するのは重労働だし、母に負担がかかってしまうし、何よりも父が祖母にやさしくできないというのがネックで、最後の最後まで家に帰らせてあげられませんでした
それは母にとってもいちばんの気がかりで、たぶん今も思い悩んでいるんじゃないかと思います
私は祖母とは離れて生活していて、祖母が亡くなって経済的に困るとかってことはないのだけど、人を亡くすということがどれほど大きなことかというのをひしひし感じています
一般的には95才まで長生きしたというのはおめでたいことなんだと思います
母も祖母があまりにも元気なので、「私の方が先に死んでしまうんじゃないかしら」と心配していたくらいでした
私も祖母のグループホームでの生活がいつまで続くのかなと考えたこともあります
グループホームで暮らすというのもけっこうお金がかかるし、不謹慎かもしれませんが、いつまでという期限もわからないので、漠然とした不安を抱えていたのかもしれません
でも、いざ祖母が亡くなると、人の死というものを何もわかっていなかった自分をまざまざと見せつけられる気がしてきます
主人の父が亡くなったときも同じことを思ったのに、時間が経ったら忘れてしまって、また同じことを思っていることに、人は本能的に死について考えることを避けているのだろうなと思うし、喉元過ぎれば熱さを忘れるということわざの通り、そのときが過ぎてしまうといい意味でも悪い意味でも感覚が鈍っていくのだなと思いました
実家に帰ってももう祖母はいないんだ、会いには行けないのだということが、ときどき心にぽっと浮かんできます
祖母の死でここまでショックを受けている自分が、もし母や子どもを亡くしたら一体どうなってしまうのだろうと考えると恐ろしくなります
でもそういう境遇に遭う人もいるし、自分もそうならないとは言えないし、今の自分の当たり前のことがとてつもなくありがたくしあわせなことなんだと感じさせられます
そして自分にもいつか死が訪れるのだということも感じます
自分の死が自分の大切な人を悲しませたり困らせたりすることにもなるかもしれないと思うと、自分の命は自分のものだけではないのだと考えさせられます
でもこれもまた、時間が経つと思いが鈍ってしまうことなのかもしれません
忘れるということはいいことでもあるけれど、後悔をしないで生きていくというのはつくづく難しいことなのだと感じます
後悔しない人生は難しいけれど…それはそのときで精一杯だったのだと思えるような人生にはしていきたいなと思いました
そのときそのときを謙虚に真面目に一生懸命やることがそれにつながっていく気がします
日常のささいなこと…たとえば家の掃除とか食事の支度とか、家族への声のかけ方とか、そういうことが大事なんだろうなと、なんとなくだけど思えています
人の死というのは本当に悲しい
でも、祖母の死を受けて、何年も会っていなかった親戚の人たちに会えたことや、生きるということについてじっくり考えるきっかけになったことは、かけがえのないご縁だったのだと感じます
祖母の死後のいろんな手続きのために母が祖母のこれまでの戸籍書類などを集めて気づいたのですが、祖母が亡くなったのは祖父の誕生日だったのだそうです
不思議な偶然ですよね…なんだか微笑ましくて救われます