マンガ「アイシテル」伊藤実著
金曜日, 9月 28th, 2018ネットマンガで少しだけ見て印象に残っていて、先日図書館に行ったら本を見つけたので、借りて読みました
都内に住む小沢聖子は、夫と美帆子・清貴の2人の子供との幸せな生活を送る専業主婦です
しかし、ある時、長男の清貴が何者かに殺害され、その生活は一変することになります
やがて清貴を殺害した犯人が判明しますが、それはなんと違う小学校に通う11才の野口裕一でした
息子を殺害された小沢家の苦悩、息子が殺人を犯した野口家の苦悩が赤裸々に語られ、苦悩の中で気づいたことや感じたことでそれぞれが思いやりの気持ちを持って生きていく感動のストーリーです
少年犯罪というと、神戸市の連続児童殺傷事件がまず頭に浮かびます
このお話はフィクションですが、その事件よりもさらに年齢の低い子が犯罪を犯すという衝撃的な設定です
でも、現実に起こり得るような気がしてしまいました
このお話を読んでとてもよかったなと感じたのは、被害者の一方的な気持ちだけでなく、加害者とその家族の気持ちもきちんと描かれていたところです
世の中にはいろんな犯罪が起こり、その行為だけを見れば、やったほうが悪いのは当たり前のことで、どうしてやってしまったのかを伝えたところで、やったこと自体が悪いのだから、何を言っても言い訳となり、加害者側は当然のように非難され、追いやられることになります
少年犯罪だと、少年よりもその親や家族に非難が行き、特に両親の責任が問われることになります
神戸市連続児童殺傷事件のときも、母親からきちんと愛情を注いでもらわなかったからだと、なぜこんな事件が起きるまで親なのに気づけなかったのだと、さまざまな声があがりました
たしかに子どもに対する親の責任は重大です
子どもの性格・人格は生まれつきによるものもあるし、環境によるものもありますが、どちらも両親が絡んでいることなので、どちらが原因だとしても、親が責められることになるのだと思います
子どもが成人していても、例えば芸能人の子どもが不祥事を起こしたときなど、親である芸能人が謝罪したり、仕事を控えるケースがよくありますが、子どもがいい大人になっていたとしても、親は子どもへの責任をずっと課せられるのだなと感じます
私も子育てをしていて、親としての責任は感じるし、自分の育て方・接し方でこの子の未来が決まってしまうような気がして、人を育てるということに大きな責任を感じることがあります
実は去年、息子が担任の先生に怪我をさせてしまうという事件が起こって、そのときの私のショックは本当に大きくて、それに加え、「加害者側」立場に追いやられてしまって、何の弁明もできず、意見も言えず、ただ謝罪することだけが求められるという時間を過ごしたことがありました
怪我をさせてしまったこと自体は本当にいけないことだったので、そのことについて息子とはたくさん話して、こういうことは二度としてはいけないと伝えました
学校にも赴いて直接担任の先生に謝罪をして、それは当然のことだと思っていましたが、それまでの担任の先生の子どもたちに対する態度のひどさは子どもたちを通じてよく聞いていたし、そこまで嫌われている先生に巡り合ったことがなかったので、ハズレの先生に当たってしまったなあという思いがずっとあって、そういう状況で事件が起きてしまい、当然のことながらそれまでと同様に事件後の学校側の対応も担任の先生の態度もがあまりにもひどくて、息子からきちんと聞き取りをしていなかったり、教頭先生からは「先生は被害者ですから」という言葉を聞いたり、加害者側の立場では何を言うこともできないのだと実感しました
息子は故意でやったわけではなかったけれど、先生に対する嫌悪感・不信感からの行動の末怪我をさせてしまったので、それはもう謝罪するしかなかったのですが、何とも言えないいやな思いが残りました
でもこういうことをしてしまうと、いくら担任の先生がいやな先生だったとしても、それを伝えることもできないし、子どもがそういうことをしてしまったということで精神的にも参ってしまうし、ものすごーく苦しくて、今こうして思い返しているだけでしんどくなるくらい
被害者でさえ批判の対象になってしまうこの世の中、加害者側に立つと、誹謗中傷はもちろんのこと、あることないこと書かれてしまったり、何でもかんでも結びつけられてしまったり、それらを弁明することも許されず、加害者側の気持ちってなかなか理解してもらえないのだなということを、小さな学校という社会の中でだけではありましたが、ひしひしと実感してつらく感じました
話がずれてしまいましたが…、このお話には、被害者の子どもとその両親の悲しみと苦しみだけでなく、加害者の男子とその両親の立場や被害者の子どもの兄弟の立場なども描かれていて、多角的に社会問題を捉えているところがたくさんありました
そしていちばんすごいなと思ったのは、主人公の小沢聖子が、息子を殺害された母親の立場にありながら、加害者の少年やその両親のことを思いやり、加害者被害者という立場は違えど、こういう事件が起こってしまったことに対する自分の責任に苛まれて悩んでいる立場は同じであるということに気づいたということ…
ここまで気づけるというのはなかなかできないことなのかもしれません
被害者の姉の美帆子のこともとても気になりました
何かと弟の清貴ばかりがちやほやされてイライラするところは我が家の娘と重なりました
清貴は思ったことを口にしてしまう、ちょっとグレーゾーンなのかも?と思ったのですが、そこは我が家の息子と重なり、そういったところに姉の美帆子もイライラしたし、祐一もそこに憤慨して殺害に及んでしまうところもあって、清貴の素直さ・天真爛漫さが姉の美帆子にはうっとうしかったんだろうなと思います
兄弟って本当にむずかしい…親としては平等に愛情を注いでいるつもりでも、子どもがそう受け止めているわけではないんですよね
手のかかる子がいると、どうしてもそちらに気持ちが行ってしまい、もう一方はほったらかしにされているような気持ちになるのだと思います
息子が殺害されて悲しみに打ちひしがれている母親を美帆子は思いやりますが、自分もお母さんの子どもなんだよという気持ちは痛いほど感じました
こういった事件が起きたとき、手のかかる子がいるとき、その兄弟へのケアって忘れられがちだけど、すごく大事なんだなと、改めて自分の娘への接しかたを考えされられます
このお話は以前ドラマにもなったそうです
機会があったら一度見てみたいです
原作に忠実なドラマだったらいいなと思います