映画「おくりびと」と本「納棺夫日記」

だいぶ前に観たのでうる覚えなのですが、とりあえず書き留めておこうかなと思います

チェロ奏者だった主人公・小林大悟の所属する東京のオーケストラが突然解散となり、妻とともに故郷の山形に戻って生活を始めます
大悟はよく知らないまま納棺の仕事を始めることになる…というストーリーです

この映画を観るだいぶ前に、青木新門さんの「納棺夫日記」を読みました
納棺夫という仕事を通して語られる人間の死・青木氏の宗教観に深く感銘を受け、「生きること」「死ぬこと」の不思議を考えさせられました
その上で「おくりびと」を観たわけですが、正直がっかりでした
冒頭からして溜息…これはコメディなのかと思えてふざけているように感じました
納棺の仕事をするシーンなのですが、亡くなった人が見た目は女性だけど実は男性で、納棺の儀式をするのに戸惑うというはじまりです
何ていうか…単なる一般のウケ狙い映画に思えてしまいました

大悟が納棺の仕事に就いて、はじめにやらされた納棺解説DVDの死体役のシーンもずいぶんとふざけたものだと思いました
この映画の監督は納棺という仕事に敬意を払っているのか、どういう思いがあってこの題材を取り上げようと思ったのか、疑問を抱かざるを得ない気持ちになりました

このような描写から見えてくるのは、納棺というあまり表には出ない特殊な仕事を単なる興味本位で覗いてみたい・知らせたいという幼稚な好奇心ではないかと思います
これほどまでにがっかりした映画は他にないかもしれません

エンディングは、いなくなってしまった父が実はずっと息子のことを思っていた…それが死んでからわかった…というも日本映画独特のお決まりパターンで、最初から最後まで無感動で終わってしまいました

こんな深みのない映画がアカデミー賞なんて取ってしまうなんて、この映画のどこをどのように見たら賞に値するのか、問いつめたくなります

映画を観てから知ったのですが、大悟役を演じた本木雅弘さんが、青木新門さんの著書「納棺夫日記」を読んで感銘を受け、青木さんを訪ね、映画化の許 可を得たそうなのですが、その後、脚本を青木さんに見せたところ、舞台・ロケ地が富山ではなく、山形になっていたことや物語の結末の相違、また青木さん本 人の宗教観などが反映されていないことなどから当初は映画化を拒否されたのだそうです
本木さんはその後、何度も青木宅を訪れましたが、映画化は許されず、「やるなら、全く別の作品としてやってほしい」との青木さんの意向を受け、『おくりびと』というタイトルで、『納棺夫日記』とは全く別の作品として映画化されるという経緯があったのだとか…
そりゃそうだよなあ…という気持ちになります

単なる陳腐な映画を勝手に作りたいという話なら勝手にやってくださいという話になりますが、「まったく別の作品」として作られたとしても、どうしても引き合いに出されてしまう青木新門さんや「納棺夫日記」が気の毒になります
映画「おくりびと」ではなく、「納棺夫日記」を是非是非読んでもらいたいです

私事ですが、私の実家はお寺を経営していて、一般の人たちよりも人の死に触れることは多かったと思います
最近は葬儀場でやることが多くなりましたが、私が子供の頃は本堂でお通夜やお葬式が行われ、遺体が安置されていることもしばしばあったし、家の敷地内にはお墓が並んでいました
「お墓の前を通るときは親指を隠して走って通る」なんて言っている友だちからは私の家はどんなふうに見えたんでしょうね
でも、生まれたときからこうでしたから、何とも思いませんでした
死に触れている・死に対して恐れないことをいわば「尊敬」の眼差しで見られたこともあるし、お寺の人たちっていうのはまるで「私は死を受けて入れております」みたいな態度をしているけど、そんなことはないです、ただたくさん見てるから慣れているだけだと思います
最近は「それでも死を恐れてしまう愚かな私」を認めることがより一層「カッチョイイ」と言わんばかりのお坊さんも増えてるなあって気がするんだけど、それならそれでそう心の中だけで思ってりゃいいのに、それを言っちゃうもんだからそれが「カッチョわるい」のですよね

お葬式のときに導師が読む「人の誕生に慣れても人の死に慣れることはない」という下だりがあるのですが、私に言わせればお寺の人たちってのは、人の死に慣れているところはあると思うんですよね
理屈では「必ず死は訪れるもの」だの「人間の死亡率は100%」だの「生きている限り死の恐怖からは逃れられない」だのわかったようなことは言えても、それはいわば他人事だと考えているから言えるのであって、本当に死を受け入れるのとは違うと思います

何が言いたいのかよくわからなくなってきましたが…きっと私もいざ死ぬとなったらすごく怖いだろうし、できたら助かりたいと思うだろうし、痛いのも苦しいのもいやだって思うだろうから、かつてお寺の一員だった身としては、あまり偉そうなことは言わずにいたい…と思います
そのわりに今日はかなり辛口でした

というわけで、「納棺夫日記」をオススメします
この本を読みこなすにはもっともっと自分自身が深い人間にならなくちゃいけないなあと痛感させられます

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2 Responses to “映画「おくりびと」と本「納棺夫日記」”

  1. よっしー Says:

    どちらの作品も観て(読んで)ないけど、「納棺夫日記」を読んでみたくなりました。
    死のことについて、死んだ後の事について考える事ができるのは人間だけだろうと思います。
    子供を持って、命というものの捉え方が僕は変わりました。

    長男が産まれた時に、祖母に家系図をもらいました。
    僕が当主になれば16代目。
    ずうっと続いてきた命の繋がりに僕が加わったことを再認識してました。

  2. chucchy(管理人) Says:

    よっしーさん
    たしかに…子供が生まれると変わりますね
    2人の人間から子供が生まれるのも不思議だし、子供が生まれたら親として絶対に死ねないな…と思うようになりました
    自分が存在するには2人の人間がいて、その2人が存在するには4人がいる…
    自分が存在するためにどれほど多くの人間の存在が必要なのかを考えると、「生かされている」という気持ちになります

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