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昨日の地震のこと

土曜日, 12月 8th, 2012

昨日子どもたちと夕食を食べ始めたとき、ゆら〜っと揺れるのを感じ、「もしかして地震??」とテレビを付けたら東北沖でかなり大きな地震が起き、津波警報が発令されていることを知りました
私が感じた揺れはまさに去年の東日本大震災のときに感じたのと同じ揺れで、まるで大きな船に乗っているかのようなゆっくりで大きくて恐怖を感じました

テレビではアナウンサーが緊迫した声で「高台に逃げて下さい。東日本大震災を思い出して下さい。命を守ることを最優先に行動して下さい。まわりの人たちにも批難を呼びかけて下さい」と何度も何度も呼びかけていました

ただ事でない雰囲気に上の娘は半泣き状態で、下の息子は「怖いよ〜地震来るよ〜津波来て死んじゃうよ〜」とワンワン泣き始めてしまいました
私が「地震が起きたのはここから遠いところだから大丈夫だよ。ここには津波は来ないよ」とテレビ画面に表示されている日本地図を指差して何度も教えましたが、子どもたちの恐怖心はなかなか収まりませんでした

娘が「逃げる準備しておかなくちゃ」と言い、私が「大丈夫だよ。ここには津波は来ないから逃げなくてもいいよ」と言っても納得せず、着替えをバッグに詰め込み始め、息子もお姉ちゃんのマネをしてバッグがパンパンになるまで詰め込んでいました
とりあえず子どもたちを落ち着かせなくちゃ…と思い、私も準備を手伝いました
「食べるものがないと困るね」と娘が言うので、缶詰やお菓子・インスタントラーメンもバッグに入れ、玄関に置いておきました

準備ができて子どもたちは少し安心したようでしたが、しばらくすると息子が「パパがいない。パパが死んじゃう」と泣き始めました
私がなだめてもどうにもおさまらず、だんなさんに電話して声を聞かせることにしました
娘は「お父さん地震大丈夫だった?」と聞き、息子はお父さんの声を聞くと号泣して「パパがいい。パパが好きだもん」とオイオイ泣いてしまいました

正直私は子どもたちがここまでするのに面食らってしまいました
東日本大震災が起こったとき、娘は6才、息子は3才で、まだまだ小さくてわからなかったのでは…と思っていたのですが、あのときに見た映像やただならぬ雰囲気を直感的に感じていたのだと知り、子どもにとっても相当ショックな出来事だったのだと思いました

娘は緊迫したニュース番組を見たがらず、テレビ愛知の「AKB子兎道場」を見ていましたが、津波が気になるようでときどきチャンネルを変えていました

娘が「いちばん困るのはお風呂に入っているときに地震が来ることだよね」と言い、「早くお風呂に入ってチャチャッと出なくちゃ」とまだお風呂の支度ができていないのに入ろうとする始末
いつもはなかなか体や髪の毛を洗わずに遊んでいる子どもたちが昨日は自分からどんどんやっていて、浴室滞在時間10分ほどでした

子どもたちは自らパジャマの上に上着を着て靴下を履いて、夜地震が来てもすぐに逃げられるようにと準備万端
いつ地震が起こってもわかるようにテレビはつけっぱなしにして寝ると言い張りました

子どもたちの行動にはびっくりした私だったけど、でもそのとおりだとも思い、やっぱりふだんから備えていなければ行けないのだと実感
東日本大震災の後、避難用のリュックを2つ作って準備しておいたのに、非常用食料はぼちぼち食べてしまったし、着替えの入ったリュックは二階のクローゼットの中に入っています
これではいざというとき持ち出せないですよね

今回の地震の被害はそれほどでもなかったようだけど、「天災は忘れた頃にやって来る」と言うし、今回はそれを実感させてくれる機会になったと思います
備えているというだけで安心感も生まれるし、私がきちんと備えていれば子どもたちだってあんなに恐怖を感じずに済んだはず…
ちゃんと準備しておかねば…と思ったのでした

それにしてもこんなに寒い夜に地震が起きるなんて、本当に何と言ってよいやら…です
命のためとは言え、凍えるような寒さの中批難しなければならない人たちのことを思うと、かわいそうでなりません
何事もなくてよかった…だけでは済まされないものがありますよね

もし世の中の天変地異を始め、あらゆることを自在に操る神様がいたら、ちょっとひどすぎやしない??と言いたくなります

神様が全知全能だとは思えないなあ…だとしたらあまりにも酷すぎるもの
もし私が全知全能の神様だったら、世の中にいる困っている人を救うようなことをしたいですね
それとも神様はこういう災害を通して人間に何かを訴えたいのかしら?
人間が人間の力と能力におごっていることを嘆き、人間が無力であることを思い知らせたいのかな?
でもだとしたらどうして日本の東北にこんな災害が起こるんでしょうかね…

本「森のなかの海」宮本輝著

金曜日, 3月 30th, 2012

この本をはじめて読んだのはだいぶ前ですが、東日本大震災があって、もう一度読み直しました

阪神淡路地区を大地震が襲った日、36歳の仙田希美子の平穏な人生も崩壊が始まります
希美子の夫は地震の直後に愛人のもとへ行き、姑もその存在を 認めていることが発覚します
離婚を決意した希美子は、両親や妹たちに支えられ再出発をはかり、学生時代に知り合った老婦人毛利カナ江から奥飛騨の広大な 森と山荘を相続し、息子二人と移り住むことになります
そこで毛利カナ江の過去の秘密に触れ、それが次第に明らかになって行く…というお話です

このお話自体の感想ももちろんあるのですが、もう一度読み直そうと思ったのは、このお話のところどころに当時の政府やマスコミに対する作者の思い・ 感じ方みたいなものが登場人物の口を通して語られているのを覚えていたので、今回の東日本大震災のときと比べて政府やマスコミの対応はどうだったのか、菅首相は「リーダーシップが取れない」云々と言われて批判されていたけど果たしてそうだったのか、阪神淡路大震災のときの経験が東日本大震災に活かされたのかどうか…などなどを知りたくなったからです

もちろん、このお話自体はフィクションですから、当時の状況がそのまま書かれていないかもしれないし、作者の考えで書かれていることだから事実と異 なる部分もあるかもしれないとは思うのですが、それを踏まえた上で読んでも、「まんざら間違ってはいないだろう」という感想を持ちました

お話の内容よりも政府やマスコミに関する箇所で目に止まった箇所について、書き留めておきたいと思います

まず、地震が起きた後、神戸から歩いて夫の同僚のマンションに辿り着いたときの、同僚の妻の言葉です

「希美子さんの気持はよくわかるわ。私だって腹が立っちゃう。地震が起こって八時間もたつのに、為す術もなく、慌てふためいているだけだもの。なさけない政府…」

こういう状態は阪神大震災のときも東日本大震災のときにも誰もが感じたことだった気がします
「想定外」という言葉がよく使われましたが、想定内のことしか起こらないだろうという認識からしてどうなんだろう…と思っていました
防災対策も過去に起こった災害を元に基準を設けるわけで、それは当然と言えば当然だけど、それじゃあ過去に起こった災害よりも大きな災害が起きたらお手上げですよ〜と言っているように聞こえてしまいます
原発に対しても津波に対しても地震に対しても、「安全の確保」が語られますが、人間が想定できる規模以上の災害が起こる可能性は否定できないわけだし、何を以て「安全」とするのだろうと考えてしまいます

それにしても、このおそまつな救援活動は、いったい何だろう。こんな焼け石に水のような救援活動しかできない国を先進国だと呼べるのだろうか…。

東日本大震災でも救援活動がスムーズに行ったとは言えなかったように思います
津波の被害で自治体自体が機能しなくなってしまったところもあったし、津波で浸水して孤立してしまった場所に避難した人たちもいて、それを把握するのに時間がかかったのでしょうし、津波が家屋や車などを押し流し、大量のがれきが散乱したことも救援活動の妨げにもなったのだろうし、電気・ガス・水道などのライフラインがやられてしまったことも大きかったと思います
私は、救援活動がスムーズに行ったかどうかは置いておいて、政府も警察も消防もそれなりに一生懸命やっていたのではないかと思ったし、思いたい…そういう気持ちでいます
こういう状況でスムーズに行かないのは「想定内」でしょうし、過去の災害の経験が活かされたかどうかが気になります
政権が変わっても防災や社会福祉などに対しての知識や経験はきちんと受け継ぎをして、ちゃんと活かしてよりよいものにしていってほしいですよね

「この国の政治家の無能を、この目に焼きつけておこうと思って、テレビをつけてんだけど、この近くから逃げ出して来たお姉さんには、刺激が強すぎるわね」
「総選挙で大敗した自民党が、おんなじように大敗した社会党と組んで、つまり魂の売り買いをしあって作った政権なんだもの。いざってときに無能なのは当たり前よね」
「政治屋ってのは、自分たちの権力を守るためなら、もう何でもありなのよ。選挙に通るか通らないか。それ以外のことは頭にないのよ。猿は木から落ちても猿だけど、政治家は選挙に落ちたら、ただの人になるってのは、ほんとに名言よね」

こういう文章を見ると、作者の宮本輝さんが政府に対してかなり不満を持っていたのだなあと感じます
私が東日本大震災が起こってテレビに釘付けだったとき、衝撃的な光景に不安と恐怖を覚え、祈るような気持ちで一人でも多く助かってほしいと思ったし、原発事故がこれ以上悪化しないでほしいと思ったし、災害対策本部を担っている政府の人たちには「私は何もできないけど、全力でどうにかしてほしい」というお願 いする気持ちだった気がします
批判するのは簡単だけど、その場でその責任を負っている人は行動している人だし、そのやり方がいいか悪いかは別として、今動いている人を批判的な視点でしか見ないのはどうなのかなあという思いがします
批判するのではなく、まずい点に気づいたのなら「こうしたほうがいいのではないか」とアドバイスして、政党を超えてみんなで協力し合っていくことってできないんでしょうか
東日本大震災のほとぼりが冷めはじめた頃から(まだ事態は収束していない時期でしたが)、ようすを伺いつつ政権批判が始まったように感じました
この震災をどうにか「利用」して政権脱却を目指そうとする人あり、政権を安定させようとする人あり、と言った感じなのでしょうか…
政治家が選挙のことしか考えていないっていうのは、私も時折感じることです
選挙が近づくと国民を思いやった法案があっさり通ったり、ニュースでも「これは選挙戦を睨んでの…」みたいなことを言ってるし、そんなことで法案が通ったり通らなかったり、政策が決まったり変わったりされちゃたまったもんじゃないわ

「私、お国はわざと火を消さないんじゃないかって気がしてきたの」
「どうして?」
「いっそ、きれいさっぱり焼けつきてくれたほうが、神戸の都市開発の大義名分ができるし、そうなったら大手の建設会社は大儲けできて、政治家はそこでまた甘い汁が吸えるわ」
「この非常事態の最中に、そんなひどい計略をおもいつくかしら」
「思いつくわよ。それが政治屋ってやつなのよ」
「知沙は、政治家がよほど嫌いなのね」
「私が嫌いなのは、政治家じゃなくて政治屋。この国に政治家っていえるのは、ほんの二、三人かもしれないわ」

「政治家」と「政治屋」の区別が私にはイマイチわからないのですけど、真の政治家という意味の「政治家」は少ないというのはわかる気がします
「政治屋」とは、あたかも国のことを考えてますよ〜国民のことを第一に考えてますよ〜というアピールをしてるけど、実は自分のことや自分の所属する政党のことばっかり考えているような政治家のことを言うのでしょうか
だとしたら、「そのとおり」って感じもします

「(義援金を)お国の機関に渡したくないのよ。悪い政治家たちのポケットに入っちゃいそうで」

もしそうだとしたら…ほんとにショックです
義援金は人の善意の塊ですよね
それをネコババできるような人は、地獄があったら即地獄行きです
そんなことをする人には良心がないのでしょうか
どんなふうに集められたお金かは頭になく、「カネはカネ」って認識なのかなあ…うーん

「だって、この一週間のことを思い出してごらんなさい。総理大臣なんて、対応のあまりのまずさを指摘されて、『なにぶん初めてのことなので』って言ったのよ。耳を疑っちゃいますよ」

当時の総理大臣ってたしか眉毛の長い村山富市さんだったと記憶していますが、こんなことほんとに言ったのかしら…?とちょっと調べてみたら…本当に言ったみたいです
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E5%B1%B1%E5%AF%8C%E5%B8%82#.E9.98.AA.E7.A5.9E.E3.83.BB.E6.B7.A1.E8.B7.AF.E5.A4.A7.E9.9C.87.E7.81.BD
もうほんと、終わってますね…
大丈夫か、日本…
菅首相が福島原発の事故を受けて「一丸となって頑張って行きたい」という旨の演説をしたとき、「感動させてる場合じゃない」なんて批判されてたけど、私はちょっと頼もしく思ったし、この村山さんの「なにぶん…」発言に比べたら評価されてもいい演説だった気がします

「死者はまだ増えつづけてるんでしょうか」
「下手をしたら七千人近くになるんじゃないかって話ですね。自分はいっさい手を汚さない『人権屋』が鬼の首を取ったみたいに国のおそまつぶりを責めるでしょうな」
「人権屋?」
「正義のうしろだてをすることを商売にしてる連中のことです。広く言えば、マスコミもそうですね」

この部分、実はこの本の中でいちばん心に残ったところです
宮本輝さんが具体的に誰を「人権屋」と言いたかったのかわからないのですが、私は広く言わなくてもマスコミこそが人権屋だと感じました
東日本大震災のとき、テレビ局各局が自社ヘリを飛ばし、取材に赴いていましたが、どのテレビ局も同じような場所に同じようなことを取材しに行き、中には「ここの地区には未だ救援物資が届いていません」と沈痛な表情でレポートする映像もありました
そのとき、なぜその自社ヘリに救援物資を積んで行かないのだろうかと思いました
政府の対応の遅さをレポートするためだけに自社ヘリを飛ばし、何も渡さずに帰って来たのだとしたら、何なのだろうと思います
震災の翌朝、まだ被害状況が把握できていないときに取材用のヘリが何機も飛んでいたけど、そのヘリを利用して「あっちに孤立している人がいる」とか「ここ に生き延びた人がいる」とかいった情報を収集してくれたらよいのに…食べ物や防寒着なんかを運んであげればよいのにと思いながら見ていました
マスコミを通して知ることのできる情報はたくさんあって、マスコミの必要性は感じますが、批判ありきの姿勢や衝撃映像を撮ろう・感動映像を撮ろうというスクープ狙いが優先してしまっては、人間としての本質を見失い、津波で友だちを亡くした子供に「友だちが死んじゃってどう思う?」なんて質問をしてマイクを 向けるといった行動になってしまうのでしょうか…
私は悲しみや苦しみで言葉を詰まらせている人にマイクを向けつづけている映像がたまらなくいやです
もうそっとしておいてあげてほしいと思ってしまいます

「私は右翼でも左翼でもないけど、この日本て国は、これから先、衰退の一途を辿って、滅びてしまうような気がする…」
「上は大臣から下は町会議員、村会議員に至るまで、そのほとんどが金の亡者。公務員は事勿れ主義。国民は、人間としての行儀とか教養を積まないままおとなになって、自分たちよりもさらにレベルの低い子供を産んで、その子たちはおとなになって、さらにレベルの低い子供を産むの…。この日本て国は、もうおしま いね」

そこまで言っちゃうかって言う気もするのですが、まんざら外れないと感じてしまう私…
議員という肩書きがつく人たちが金の亡者で、公務員の事勿れ主義っていうのは言わずもがなですが、モンスターペアレンツの問題とか、教員によるさまざまな不祥事なんかを見ていると、親が悪い・教師が悪いというより、人間全体のレベルが下がっているという気がしてしまいます

「やっぱり、この日本て国はもうおしまいね。教養のある侍みたいな男はいなくなったし、かしこくて品のある女もいなくな る。マンボちゃんの人間学の寺子屋がほんとに必要なんだろうけど、この国の未来を憂うなんて声高に叫んでる評論家や大学教授たちだって、銀座のクラブで酒 臭い息をしてホステスのお尻をさわってるんだもの」

爆笑!!
外では「男性も家事や育児を積極的にする時代です」なんて言いながら、家に帰ったら「メシ、フロ、ネル」しか言わないような感じかしら?
私は男じゃないからわからないけど、クラブやキャバクラに言ってはしゃぎたくなってしまうのが男ってものらしいし、それくらいはまあいいかという気もしますが、偉そうなことを言っておきながらも所詮は欲望の塊の人間でしかないってことなんでしょうか…
あと、ワイドショーなんかに出てくる「評論家」って何なのだろうとは思います
評論家っていう職業があるのかな?
「何でもかんでも批判家」のほうがいいんじゃないかと思っちゃいます

「ぼくは上手に言えないんだけど、この国を動かしている人たちは、いろんなことに対して畏敬の念がないんだと思うよ。宇 宙ってものに対する畏敬、大自然への畏敬、優れた芸術への畏敬、学問に対する畏敬。それがないから、民衆をいつも小馬鹿にしてるんじゃないかな。政治家だ けじゃなくて、教育者たちもおんなじさ」

たしかに、これはそのままそのとおりだと感じました
先にも述べましたが、自然災害に対しての「100%の安全」を求めているところだって、自然を人間が完全にコントロールできると思っているからなんだろうし、「畏敬の念」のなさが表れていますよね
でも…これはきっと、政治家や教育者だけじゃなく、一般市民にも当てはまるのかもしれません

「携帯電話も怖いねん。あのとき、携帯電話一回二千円ていう商売をしてた人がおってんで。『携帯電話を持ってたら貸して下さい』って頼んだら、二千円で使わしてやるって。二日間で十二万円儲けたって。その噂を聞いた人らが怒って、袋だたきにしたんや」

災害で食べ物がなくて困っている人たちに無償でおにぎりを配ったコンビニの店員もいれば、こうやって金儲けを思いつく人もいる…いろんな人がいるのだということを感じます
東日本大震災が起こった後、日本人が暴動や略奪を起こさずにいることを世界中が称賛しましたが、義援金詐欺被害もあるし、被災地での空き巣被害は震災前の何倍もあるとのこと…
やはりここでの日本人のレベルが下がっていることを感じてしまいます
そんな人たちばかりじゃないとは思うけど、今となっては後からぽろぽろ出てくる福島原発事故への対応のまずさも重なって、世界中から称賛を受けたことが恥ずかしく思えてきます

東日本大震災はまだまだ復興に向かって進みはじめたとは言えない段階で、被災者だけでなく、日本すべての人にとっては大きな問題で、このことから学べること・わかったことはたくさんあるはず…
それを元にこれからどうしていったらいいのかを真剣に考えて行かなくちゃ…と思います

INFORMATION:
アマゾンの「森のなかの海〈上〉」のページ

映画「日本沈没」

木曜日, 3月 22nd, 2012

だいぶ前に話題になった映画ですが、東日本大震災があってから観ました

日本各地で大規模な地震が頻発し、1年を待たずに日本列島が沈んでしまうことが判明します
あちこちで起こる災害に怯える人たち…日本からの脱出が急がれる中、日本沈没を阻止する唯一の方法は海底プレートの異変にショックを与えて断裂するというものでした
潜水艇『わだつみ6500』の操縦士が命を懸けてその実行を試みる、というお話です

映画のレビューを見たら、酷評が並んでいたのですが、私はこの映画を観て、この映画の出来のよさ悪さ云々や映画としての素晴らしさ云々についてあれこれ意見したいという気持ちにはなれないでいます
もしこの映画を東日本大震災が起こる前に観ていたら、こんなふうには感じず、レビューに多く見られるような感想を持ったかもしれません
でも、東日本大震災をテレビで目の当たりにした後で見たこの映画はとてもじゃないけど単なる「映画」だとは思えなかったし、映画で描かれている津波や地震のようすが「東日本大震災もきっとこんな感じだったのだろう」と感じました

皮肉にもこの映画の中で福島県は「被害の少ない地域」でした
なぜ作者がそう設定したのかはわかりませんが、日本列島でこれだけの地震が起こりながらも原発事故のことが出て来ないのが少し不思議に感じました
これほどまでの災害が日本のあちこちで起こったら、日本で稼働している原発が福島原発のように事故を引き起こしても不思議ではないと思ったし、そうなる方が自然だとさえ感じました
原発の事故で放射能が漏れて…という話になれば一刻の猶予もないわけで、日本が完全に沈むまでに国民全員を国外に避難させなければならないなどという事態さえ悠長に感じられるのでしょう
そうなれば何もできないわけで、映画のストーリーとして成り立たなくなってしまうんでしょうけど、ひとつの原発の事故でこれだけの被害が出ている現実の世界のことを思うと、映画と現実とどちらのほうがより惨事なのだろうかと考えてしまいました

映画の中で、政府が国民全員を国外退去できるだけの輸送手段を確保していないというシーンで、日本が完全に沈むまでに多くの人が死亡するから、今生きている人数全員を輸送する手段を確保する必要はない、と言ったことを政府の一人が発言したのにはショックを受けました
日本の政治を担っている人たちは、頭も切れて勉強もできて、いい大学も出ているんだろうけど、そのいい頭をそんな計算に使ってほしくないです
富裕層は先にどんどん国外へと避難し、一般市民は後まわしというシーンもあって、フライトアテンダントをしている叔母から「東日本大震災のあと、お偉いさんたちの家族はみんな飛行機に乗って東京から離れていた」と聞いたのを思い出しました
本当かどうかわからないけど…あり得ない話じゃないんだなあと思えます

この映画を観て、改めて東日本大震災の被害の大きさを感じ、人事とは思えず、映画の中の世界のことだけとも思えず、何とも言えない気持ちになりました

ひとつ…潜水士の結城慎司役の及川光博さんのことを書いておきます

及川光博さんて、たしか自分のことを「王子」だとか「ミッチー」だとか言っていた記憶があるのですが、単なるナルシストな人なんだという印象があって、どちらかというとあまり好きな芸能人ではありませんでした
でも、この映画の役柄とか、ドラマ「相棒」での役柄とか、その他にも父親役なんかもやっていて、私がはじめに抱いたようなナルシスト的な感じがしないなあと思いました
まあ役柄と実際の人柄が一致するわけじゃないんでしょうけど、この映画を観て及川光博さんのことをちょっと違った目で見るようになったような気がします

INFORMATION:
goo映画の「日本沈没」ページ

東日本大震災から1年

月曜日, 3月 12th, 2012

あれからもう1年も経ったのか…と思うほど、あの日の衝撃はまだ脳裏に焼き付いています

あの日、私と息子はお昼過ぎまで母子通園施設で過ごしていました
私が帰る前に保育園から電話があって、娘が何となくしんどそうなので迎えに来てほしいとのことで、有休をとっていただんなさんに迎えに行ってもらいました
午後は家に家族全員がいて、息子はお昼寝、私はちょっと事務仕事、娘とだんなさんはリビングでテレビを見ていました

机に向かっていたらなんだかゆらーっとして、「あれ、めまいかな?」と思い、「疲れてるのかなあ…」と思ったのですが、どうもようすがおかしい…
もしかして地震??と思い、リビングへ直行、「ねえ、地震じゃない?」というと、だんなさんは「え、そう?」と言いながらあたりを見回し、あの電気傘が揺れるのを見て「あ、ほんとだ」と、テレビをNHKに切り替えたのでした

その後、ゆらーゆらーっという大きな船に乗っているような今まで体験したことのない揺れが何度かあって、恐怖を感じながらテレビを見つめていました
テレビでは津波に警戒するよう何度も警告していて、でもまさかそれほどの大惨事になるとは私も思っていなくて、海岸近くで海のようすを見ている人や、海岸沿いの道を行き来する車が映し出されていました
地震発生からずっとテレビをつけ、東北沿岸部のようすを見ていたのですが、海面がゆっくりと静かに上昇しはじめ、「え…?あれ…?うそ…?」と思っているうちに沿岸の車を巻込み、道路へと津波が押し寄せていきました

ライブ中継を見ていたので、車の中にいる人の姿や道路の上にいる人の姿も映し出され、波に巻込まれて消えていくようすも映っていました
まるで何かの特撮映像を見ているのではないかと思うほど、現実とかけ離れた状態に思えました

津波の被害に衝撃を受け、その後は原発事故…放射能という目に見えない大きな問題に祈るような気持ちで日々を過ごしたのを思い出します

大きな災害から1年経って、たとえば阪神淡路大震災のときなど、復興に向けて歩み出しているということを感じたのですが、東日本大震災から昨日で1年経って、やはり原発事故の問題が大きくて、事態が収束し復興に向かっているとは思えないでいます

小学校からメールがあって、3/11の14:46には家庭でも一緒に黙祷をしましょうとのことでした
学校でもそのことは子供たちに伝えられたとのことです
昨日は午後家で過ごし、14:00頃からテレビをつけ、子どもと静かに見ていました
1年前のことを子どもと話し、今もまだ家に帰れないでいる人たちがいることを話しました
下の子はまだ年少さんでわからないかもしれないけど、私や娘が神妙な顔をしているのを感じとったようでした

ずっとテレビを見ていたわけではありませんが、津波が街を襲う映像がテレビで流されることがないと感じました
未だに行方不明の人たちもいるし、あの映像を見ると犠牲になった人たちの苦しみを感じるだろうし、まだまだ復興からはほど遠い状態にあってはあの映像は被災者にとってあまりにも酷なものなのかもしれません
特に被害があったわけではない私が見ても目頭が熱くなることもあるほどだし、被災者にとっては想像もつかないほどのショック映像なのでしょうね…

これまでもいろいろな災害があったけど、これほどまでに人々の心に衝撃を与えた災害はなかったように思います
原発のことがいちばん気がかりですが、被災者の経済的・精神的に支えるような法律やしくみが早く整って軌道に乗っていってほしいと願ってやみません

でも…政治家たちは本当にその危機感を感じているのかしら…?
首相がタバコを何才から吸ったとかなんとか…なんていうどうでもいいやり取りが国会で行なわれていると知って、なんだかなあという気持ちになってしまいます
子ども手当の別名がどうのこうの…とか、「名前なんてどうだっていいんじゃないのかなあ」と思っちゃうんだけど…
解散が先か増税が先かで駆け引きしていたり、結局は政治家の頭の中は政権の奪い合いしか頭にないんじゃないかと思えてくるなあ…

政治って一筋縄では行かないものだろうし、ときには表に出せないような交渉もやらなくちゃいけないんだろうけど、それにしたってどうにかならないもんかしら…と思ってしまいます

喉元過ぎれば熱さを忘れるー東日本大震災ー

土曜日, 4月 30th, 2011

東日本大震災が起こってから1ヶ月半…まだまだ問題は山積みではあるものの、少しずつ復興の兆しが見えて来たように思います
新聞も毎日一面は東日本大震災の記事を決まっていたのが、徐々にそうではなくなり、テレビのニュースもトップニュースから東日本大震災の話題が外れ、政府の人たちが作業着からこれまでどおりの背広姿に戻り、私は四六時中ニュースを気にすることがなくなってきました

福島第一原子力発電所のニュースは明るいものではないものの、地震が起こった後の緊迫した状況とはだいぶ変わって来ています
私がいちばん気になっていたのは原発事故のことだったので、今発表されているよりも悪い状態だということが発表されることはあるかもしれないけど、とりあ えずこれから先今よりも悪い状態に進むことは避けられそうだということと、具体的に対策が考えられていることに一定の安堵感を覚えます

と同時に、自分を含めて人々の大震災への恐怖感が薄れつつあるのを感じます
私に関して言えば、毎日原発事故の状況が気になって気になってニュースをたびたびチェックしていたのが、今は地震が起こる前と同じ程度になっています
地震が発生してから何となく家族が離れるのが心配で、子供が保育園に行ったり、だんなさんが会社に行くことさえあまり気が進まなかったのですが、今は「いってらっしゃーい」と元気に送り出しています
私の住んでいるところも何度か余震で揺れたことがあり、もしここで大きな地震が起こったら…と思うと心配になり、リュックに衣類と食料を詰めて玄関に置い てあったのですが、最近はそのリュックからレトルト食品などをひとつふたつと取り出してはお昼に食べちゃったり、「あー今日はめんどくさいなあ」という日 には夕食用に取り出したりと、非常のために揃えておいたものが少しずつ日常のために使われて行っています

地震が発生して時間が立ち、いつまでもその恐怖心を忘れられずに過ごすことはとてもしんどいし、時間とともにそれらが薄らいで行くのは必要なことだと思います
実際に被災した人たちの中には、まだまだ震災のショックから立ち直れずにいる人の多いのだと思います
そういう人たちが少しでも心の平穏を取り戻し、復興に向けて前向きな気持ちになってくれたら…と願いますし、そのためにもさまざまな支援や協力が行なわれて行ってほしいと思います

ただ…やっぱり「喉元過ぎれば熱さを忘れる」であってはいけないんですよね
政府や自治体はもちろんですが、この大惨事を元にさまざまな対策を練って行くことになると思います
私たち個人個人に求められる防災意識は何なのかを考えると、やはり日頃からの備えに尽きるのではないでしょうか
私みたいに避難用に買ってあったレトルトを食べてしまうようなことではいけないですよね

あのときの恐怖に怯えながら暮らしたり、「いつ地震が起きるかもしれない」という緊張感の中暮らすのはとってもつらいし、正直そんな気持ちをいつもいつも持ち続けるのは不可能だと思います
でも、この体験を忘れては行けないし、対策を講じておかなければならないと思うし、その折り合いをつけることが大切なんじゃないかと思います

取り急ぎやっておこうと思うのは、すぐに避難できるように荷物をつくっておくこと・避難場所を決めておくこと・災害が起こったときに大切な人に連絡する方法をきちんと把握しておくことかな…と思っています

大震災を利用する人たちー東日本大震災ー

火曜日, 4月 26th, 2011

今回の大震災は日本だけでなく海外でも大きなニュースとして伝えられ、多くの人たちが被災者に心を寄せているのを感じます
それらの声は本当に感動すら覚えるほどで、こんなに多くの人たちが日本のことを思ってくれているのだとうれしくなります
日本国内でも多額の義援金を寄付する芸能人やスポーツ選手は多いし、率先して支援活動を行う人たちも多いし、人間ってこんなにも優しい気持ちを持てるのだなあと思い、現代人も見捨てたものじゃないと思いました

そんな中でちらほら聞くニュースに心が痛みます
たとえば大震災発生後、円高になったこと…
こういう災害が起きると円安になるものだと私は思っていたのですが、復旧に多額の日本円が使われることになり、今円を買っておけばその後高く売れるということを見込んでの動きなのだそうです
これを聞いて「なんだかなあ」と思ってしまいました
私は株とか経済全般のことはよくわからないのだけど、体を動かさずしてお金やものを右から左に移動させてお金を儲けましょうというやり方にあまりいい思いを抱いていません
投資することそのものが悪いわけじゃないし、景気の先行きを見る目というのも必要なのでしょうけど、大震災でこれだけたくさんの人が被害に遭い、それを助けよう・どうにかしよう・頑張ろうという思いでいる人たちがいる中で、まずはじめに自分の金儲けに目が行ってしまう人たちが少なくないことにむなしさを感じます

今回の震災で恩恵を被る人たちも多いとは思うのですが、それをどう捉えるかでずいぶん変わってきますよね
「少しでも被災者のためになりたい」と思うのか、「ここぞとばかりに利益を上げてやろう」と思うのか…
私は前者であってほしいと願います

テレビでビートたけしさんが、「慈善事業だと言って名前を売ろうとしている芸能人たちがいる」と言っていたそうなのですが、そういう人もいないわけじゃないのでしょうけど、そんなふうに考えたくないなあと思います
「私にできるのはこれしかないから」と言って芸能活動をするのもわからなくはないものの、「うーん」と思ったりもするわけで、でもそれって捉え方の問題かなあとも思うし…
人が何かいわゆる「いいこと」をしたときは、裏の裏を勘ぐらずにそれをそのままとして感じたいですよね
「本当はそんな気持ちないくせに」とか「いい人ぶっている」とか…そんなふうに感じずにいたいと思ってしまいます

政治の世界はどうなんでしょうか
この大震災の最中に政党の支持率を気にしたり、政権奪還を模索している人たちは多いのでしょうか
この非常事態にも関わらず、政党を越えて全面協力というのがあまり感じられないのですよね
「全面的に協力する」と口ではいいながらもそれぞれの政党の権力争いを模索しているような様子を見ているようなそんな感じがしてしまいます
私は政治のことは正直よくわかりません
今民主党が政権を取っていて、いろいろと批判されていますが、その批判が当然なものなのかどうかもわからないでいます
政治を主導することに不慣れなためにうまく行っていない部分はあるようには感じますけどね…
かつて自民党が政権を担っていたときにもいろいろ批判があったようですが、そのときのことを思い起こすと「どっちもどっち」という気がしてしまうし、トップに立つものは批判される運命にあるような気がしてしまいます
でも、今は民主党がリーダーシップを取ってやっているときなのだから、かつて政権を取っていた自民党は「批判」じゃなくて「助言」や「協力」をしてほしいなあと思うんですよね…そういうのは無理なのかなあ…

これからの日本はどうなるんでしょうか
人間はなんだかんだ言っても自分がいちばんかわいいものでしょうから、自分のことを考えてしまうのは仕方ないのかもしれないけど、大震災をきっかけに見えた人々の思いやり・やさしさ・強さに水をさすようなことはあまり多くあってほしくないと思います

被災地でのモラルー東日本大震災ー

金曜日, 4月 22nd, 2011

東日本大震災のニュースは海外でも大きく取り上げられたようですが、中でもこのような大きな災害が起こったにもかかわらず、暴動や略奪が起こらないことに対する称賛の声が特徴的だったと思います
たしか阪神大震災が起こったときにもそのようなことが海外メディアにより伝えられていた気がします

このような報道を聞いて、私には「そうなのかな?」という思いと、日本人であることを誇りに思う気持ちとがありました

「そうなのかな?」と思ったのは、なぜ暴動や略奪が起こらないかに対する海外メディアなりの説明に対してです
NYタイムズでは
「商店の襲撃や救援物資の奪い合いが見られず、市民が苦境に耐えていたことに感嘆」
「日本の人々には真に高貴な忍耐力と克己心がある」

BBCワールドニュースでは
「他の国ではこんなに正しい行動はとれないだろう。日本人は文化的に感情を抑制する力がある」

と言った感じでした

一人の日本人として、「日本人は忍耐力や克己心があるなあ」と感じることってあんまりないので、そんなふうに言われてもあまりピンと来なかったのですが、日本人全体から感じられる気質にはそういうものがあるのかもしれません
日本の中にいるからわからないことで、外から見るとよくわかることってありますよね…そんな感じなのでしょうか

日本人は「自分の意見をはっきり言わない」とか「何を考えているかわからない」とか「いつも他人と同じ行動をする」とか言われることがあり、私もそれは「たしかにそうだなあ」と感じることがありました
私はそういう部分は日本人の短所だと思っていたし、そういう日本人的なところはあまり好きではなかったし、自分はそうはありたくないという思いもありました
たぶん、4年間海外で過ごしたことが大きかったんだと思います
でも、今回の大震災での日本人への称賛の声を聞き、日本人の「自分の意見をはっきり言わない」とか「何を考えているかわからない」とか「いつも他人と同じ 行動をする」とかいった行動と、大震災で暴動や略奪が起こらず、人々が冷静に行動していることは同じ要素を含んでいるのではないかな…と思いました

日本人がなぜ自分の意見をはっきり言わないか…それは他の人の意見を思いやる気持ちがあるが故だと思います
自分はこうしたいけど、自分はこう思うけど、でも他の人はそうは思わないかもしれない…私が自分の意見を主張したら自分の意見を言えなくなってしまう人がいるんじゃないか…そんな心理が働いて日本人は自分の意見をはっきり言わないのだと思います
災害で起こる暴動や略奪は他の人を思いやる気持ちよりも自分のことばかりを考える気持ちのほうが強くなって起こることですし、日本人にはこのような大災害 にあっても他の人を思いやる気持ち…つまり「たいへんなのは自分だけじゃないんだ」ということに気づき、感じることができるからなのではないかと思いまし た

そんなふうに考えると、今まで私が日本人のマイナス面だと思っていたところも、見方を変えれば長所なのだと思えるし、そういう他人を思いやることのできる日本人の性格を誇りに思います
私は実際に災害に遭ったわけではないし、実際どのような行動を自分がするのかなかなか想像できませんが、何をするにも自分のことよりもまわりのことが気になるだろうし、自分のためだけの行動をするときはどこか後ろめたい気持ちになるのではないかと思います

海外に住んでいたとき、こんなことがありました
日本人ばかりの中に一人他の国の友だちがいると、日本人は決して日本語をしゃべろうとせず、その友だちも理解できる英語で話します
でも、他の国の人ばかりの中に一人日本人がいるとき、たった一人の日本人を思いやって英語で話そうなんてことは起こりませんでした
他の国の人たちは言葉がわからずに楽しめないでいる人がいるなんてことに全然気づいていないみたいで、「具合でも悪いの?」「ずいぶんおとなしいのね」なんて言ったりする(笑)
この感覚のほうが私たち日本人には理解できないですよね

日本人はもっと自信を持ってもいいんじゃないかなあと思います
平和ボケしているなんて言われるけど、平和なのが当たり前の国なんてステキです
いつでもどこでもスリに気をつけるのが国際的常識なんていうけど、そういった犯罪が起こることが当たり前だと思うほうがやっぱりおかしいと思います
日本を、日本人を、私は心から誇りに思えるようになりたい…そう思いました

震災のニュースが子供に与える影響ー東日本大震災ー

水曜日, 4月 6th, 2011

地震が発生してからずっとテレビをつけっぱなしだった我が家…
地震のことが気になって気になってテレビを消すことができませんでした
私たちが見ていても何がどう変わるわけではないのに、見ていないともっとたいへんなことになってしまうかのように思えてきて、テレビから目が離せませんでした
だんなさんとの会話も地震と津波と原発事故のことばかりでした
当然子供との会話は激減していました
話すことと言えば「ごはんだよ」とか「お風呂だよ」という必要最低限のことや、「もしここで地震が起こったらどうするか」とか「避難所はどこにしようか」と言った話題ばかりでした

しばらくしたら6才の娘が「地震のテレビばっかりでやだ」と言いはじめました
それでも「他の面白いテレビはやってないよ」と言ってニュースばかり見ていました
そのうち娘が怖がってめそめそ泣きはじめ、これはまずいと思い、テレビを初めて消して…でも気になってまたつけて…というのの繰り返しでした

そんなときに見つけたこの記事…
親野智可等さんのブログに書かれていたものらしいです

地震の被害が予想以上に大きくて、毎日繰り返される映像にショックを覚えるほどです。被災地の情報を知らなくては…とTVを見る日々ですが、小さな子供にとってその映像はどう映っているのでしょうか?

親力1376より
緊急でお知らせしたいことがあります。
以下は、小児科の医師turubabaさんのツイッターからの引用です。
【子供さんのいるご家庭はニュースを見るのはやめましょう。子供たちの顔を見ていてあげて、話しかけてあげてください。今は大丈夫でも、ストレスにより、後で熱を出したりおなかを壊したりするかもしれません。
今日の診療中、ストレスを抱えている子供たちが多数受診。
皆さん、テレビを消しましょう。せめて、楽しい番組の録画を見せてあげましょう。みんな目がきょろきょろして落ち着きがなかったです。
診察中、個室でお気に入りの映像を楽しめるのでみんな目がきらきらしていました。うれしそうにビデオを見ていました。
診察終わっても帰りたがらない子が多いのです。おうちでは楽しいビデオを見せてあげましょう。情報はインターネットでどうぞ。
地震、津波、原発に関するテレビ番組をこの数日間ずっと見ていたご家庭も多いと思います。それによって、かなりのストレスを溜め込んでいる子どもも多いと思われます。子どもたちへのご配慮をお願いいたします。
災害や事故で命をなくしたり家族をなくしたりすることについて、不安を感じている子も多いと思います。そういうことを話してきたら、まずは「こわいんだね。心配なんだね」と共感的にたっぷり聞いてあげてください。
その後で、「だいじょうぶだよ」と言って安心させてあげるといいと思います。抱きしめてあげるのもいいでしょう。とにかく、安心して安らかに過ごせるようにしてあげてください。】

これについてのご感想を紹介させていただきます。
【「親力で・・・」No1376の内容、はっとさせられました。
同じ日本の中でこんな大変なことが起きているから、目をそらさず見なくては・・・!と思い週末ずっとテレビを見ていました。子どもも一緒に、です。「いつもの番組やらないんだね」という娘の言葉にも、「こんなときに何言っているの!」と叱ってしまいました。
でも反省しました。大人にもショッキングな映像、子どもの心にはどのように届いていたのでしょう・・・私の周りの親たちにもぜひ知らせたく、ブログに引用させていただきます。

日本中の親御さんたちが同じ気持ちでいると思います。「目をそらさず見なくては。子どもにも見せなくては」という気持ちです。こういう気持ちはある 意味大切なことだと思います。でも、子どもについては一定の配慮が必要です。というのも、子どもは大人と同じようにはいかないからです。
一言で言えば、刺激やストレスに対する抵抗力が弱いのです。たとえテレビや新聞の映像であっても、その刺激やストレスが過度になればPTSD(心的外傷後ストレス障害)に近いものが出る可能性がないとは言えません。
大人にとっても今まで経験したことのないようなショッキングな映像なのですから。そして、大人ですら体調がおかしくなったり元気がなくなったりしている人がいるくらいですから。】

これを読んで、ずっと地震のニュースから目が離せずにテレビをつけっぱなしだったことが娘にどれだけのストレスを与えてしまっていたのだろうかとはっとしました
我が家はNHKばかりだったのでCMもなかったし、朝から晩までずっと地震地震地震でした
津波や地震の映像は大人が見てもショッキングなものばかりで、私も涙なしには見られない状態で、子供にとってはそれ以上に衝撃的だったのかもしれません
私たち親がショックを受けているのも子供は感じていたでしょうし、それを何時間も目の当たりにさせてしまったことは本当にかわいそうだったと反省しています

地震から一週間経ったあたりから普通の番組が始まり出し、私としてはまだ収束していないなのに…という思いがあったのですが、「仮装大賞傑作集」と「ドリフ傑作集」を見た子供たちが大喜びしているのを見て、久しぶりに子供の笑顔を見た気がしました
賛否両論はあるかもしれないけど、地震のことを忘れさせるような番組も必要なのかもしれません

東電の作業員が被曝ー東日本大震災ー

土曜日, 4月 2nd, 2011

東京電力福島第一原子力発電所3号機のタービン建屋内で作業員3人の被曝したニュースを聞き、こんなに緊迫した事態に何をやっているのかと憤りを覚えました

はじめは東京電力側がタービン建屋内の放射能量をきちんと確認していなかったとのことでしたが、実は通常時に比べて異常に高い放射線量があることを確認しながら、東電は作業員に注意喚起をしていなかったことがわかり、「どういうこっちゃねん!」という思いです

実は、いつだったか…まだ原発事故が一段落していなかったときに、中日新聞に福島原発の作業員の記事が載っていました

地鳴りのような音がした、立っていられないほどの揺れがきたのは、1号機地下1階にいた時、原子炉からタービンにつながる 配管の点検中。直後に照明が消え周囲は真っ暗。現場監督が「落ち着いて」と声を張り上げたが、そんな余裕はなかった。「ブー、ブー」とけたたましい警告 音。現場にいた40人ほどが、せきたてられるように出口に殺到。「早くしろ、早く」。怒鳴り声に押されるように同僚2人と扉を通り抜けようとしたが、突然 ピシャリとしまった。懐中電灯もなく、閉じ込められるかと怖くて仕方なかった。何とか扉を開放してもらい脱出。原発敷地内の高台まで全力疾走。目に飛び込 んできたのは、めくれ上がった道路、めちゃくちゃになった事務所。事務所前で解散後、大渋滞を抜けて自宅にたどり着いたのは午後8時ごろ。家族(妻と一人 娘)に再会。

翌日、テレビが衝撃的な映像を映す。昨日まで自分がいた1号機の爆発。「血の気が引きました。あんなに安全だって教え込まれていたのに」。漠然と信じていた安全神話が崩壊した。

福島県内の自動車部品工場で働いていた作業員は、3年前のリーマンショックで仕事をなくし、たどり着いたのが東電の下で原発の保守点検をする会社。 現場で実感したのは下請けまかせの原発の実態だ。実際に機械をばらして傷み具合を確認するのは末端の作業員。東電の社員は書類にサインしにくるだけ。だか ら、えらい人ほど現場を知らず、発表される情報も信じられない。一家で母のいる名古屋へ逃げることを決めた。

名古屋についた14日、元受け会社から携帯に電話。「福島で仕事があるんだけど。いま、どこ?」。事故対応の危険な作業をやらされるに決まっていると、先を聞く前に断る。

作業員は言う。「作業員や周辺住民のためにも、東電や政府には正確な情報を、できるだけ早く明らかにしてほしい」。

この記事を読んだとき、東電の管理体制はどうなのだろうか…という疑問も覚えたのですが、この話をそのままそっくり受け止めてしまうのはどうなのだろうという思いでした
事故のあった原発で一生懸命頑張っている人たちがいることに大きな感謝と申し訳なさを感じていた私としては、会社に連絡することもなく名古屋に来てしまっ たこの作業員の行為は当然だという思いもありながらも、事故後も現場で奮闘している人と比べてあまりにも温度差があるように感じました
この作業員は東電の社員ではなく、下請け会社の社員で、しかもリーマンショックで失業して辿り着いた東電での仕事なわけで、言ってみれば本当にやりたくて やっている仕事というわけではなかったのではなさそうだと思ったし、下請け会社として東電に日頃から不満があるような印象を受けました
知り合いがアウトソーシングの会社に所属していて、大手企業で働いているのですが、正社員のことをあまりよく言っていなかったことを思い出します
「あいつらは俺たちのことを人とは思っていない」「仕事なんてしないで何でも俺たちにやらせる」などなど…です
聞いていてひどいなあとは思ったものの、そういうことはどの会社でも多少なりともあることだと思ったし、大手企業と下請け会社ともなれば、そこに優越感や 劣等感なども生じてしまうのだろうとも思ったし、この作業員も東電の正社員に劣等感を感じたが故にこのような不満が生じたところもあるのかもしれないと思 いました
それに実名を出し、写真まで掲載してこのようなことをマスコミにしゃべってしまうことに対し、「うーん…」という思いもありました
一家で母のいる名古屋に逃げて来たとありますが、実質的に東電で仕事らしい仕事はしばらくできないにしても、下請け会社には所属している状態で、それなのにそれをほおってきてしまうというのは、一社会人としてどうなのかとも思いました
それらの思いがあって、この記事を読んだ段階では東電のずさんさや甘さを感じるまでには至らず、むしろ事故後も原発で奮闘している東電の社員たちのことが心配でした

それが、今回の作業員の被曝の話を聞いて、少しずつ気持ちが揺れてきました
被爆したのが東電の協力会社の作業員だったことや、東電の社員が作業に立ち会っていなかったことなどを知ると、東電の管理体制に疑問を覚えずにはいられません
事故後も原発で作業を続けている人たちのことを「Fukushima 50」と呼び、賞賛する声もありますが、この50人のうち、東電の社員は何人いるのか、実際に危険な作業をやっているのは東電の社員ではなく、協力会社の 社員ばかりなのかもしれない…などという思いが浮かんできます

今回の被曝事故は、建屋内に水がたまっていて、その水には高濃度の放射性物質が含まれている危険性があったのに、作業員は足が水に浸かった状態で作業をしていたということが信じられません
原発の事故が起こって以来、ニュースなどを聞いていれば、放射能の知識があまりない一般の人たちでも放射能の危険性を頭で意識するようになっていると思うのですが、そのにわか知識だけでも体が水に浸かるということは危険なのではないか…と感じるのではないかと思います
でも、作業員は作業を続けていたわけで、東電の協力会社の作業員を含む原発で働いている人たちに対して、放射能に関する教育がきちんと行なわれていたのかが疑問です
新聞記事の作業員曰く、「安全だ」と教え込まれていたようですが、放射能の恐ろしさはまったく伝えられていなかったのでしょうか
教わらなくとも日本は広島と長崎に原爆が落とされた被曝国で、知識としてはなくても恐ろしいものだという感覚は日本人なら誰しもが持っているものだと思っていたのですが、そうではなかったことに驚きを覚えます

話は少し反れますが、アウトソーシングの会社が蔓延していることにも懸念を感じます
下請け会社だったり、協力会社だったり、派遣社員だったりすると、その企業に対しての愛社精神や「この会社をよりよくしていこう」といった思いが抱かれることはなくなってしまいますよね
この作業員だってどう見ても東電に対して、福島第一原子力発電所に対して、「愛社精神」のようなものがあったとは感じられないし、単に「生きていくため、収入を得るための手段」でしかないように思います
そういう冷めた思いで仕事をしている人たちが大勢いるのだと思うと、いくら経営の効率化がうまく行ってもいいものは何も生まれないのではないかと思ってしまいます

とにかくこれ以上被害が拡大しないことを祈るばかりです

ヘルメットと作業着ー東日本大震災ー

火曜日, 3月 29th, 2011

東日本大震災が発生した直後からずうっとテレビを見ていたのですが、被害の状況以外でずっと気になっていたことがあります
それは、民放のアナウンサーがヘルメットをかぶっていたことと、枝野官房長官や菅首相が作業着っぽい格好をしていたことです

違和感を感じたのはアナウンサーのヘルメットでした
後ろに映っている人たち(テレビ局で働いている人たち)はヘルメットをつけていないのに、なぜアナウンサーだけヘルメット?
もしかして「たいへんな事態が起こっております!」という演出なのかなあ…だとしたらひどいなあ…と思っていました
こんなふうに感じたのは私だけじゃなかったみたいで、ネットで検索したらいろいろ出てきました

ヘルメットの意味は、「放送中に地震が起こったとき、他のスタッフは机の下に潜るなど身の安全を確保することができるが、ニュースを伝えているキャスターは放送し続けなければならず、頭上の照明などの落下物から身を守るため」なのだとか…
なるほど…と思いつつも、ヘルメットをかぶっていたのは民放だけだった気がするんですよね
NHKのアナウンサーは地震発生直後からかぶっていませんでした
「演出」的な意味として、「ヘルメットをかぶることによって視聴者の危険意識を高める」みたいなこともどこかに書かれていたのですが、うーん…それってちょっと苦しすぎる言い訳に聞こえてしまいました

たとえば…台風が接近しているときの各民放のレポートなどを見ていると、少々大袈裟なのではないかなあと思われる実況レポートがあります
「立っていられないほどです」と言いつつ、レポートが終わるとカメラの前から普通に歩いて去っている姿が映ってしまったなんていう映像がYoutubeにあったりもします
いろいろ考えると、やっぱり「たいへんな事態でありまする」という演出的な小道具という要素もかなりあるんじゃないかと感じました
本当に危ないのだとしたら、後ろで働いているスタッフだってヘルメットをかぶるに越したことはないと思うし…

あと、菅首相や枝野官房長官を始めとする政府の方たちのブルーの作業着ですが、民放アナウンサーのヘルメットほど違和感を覚えなかったものの、よくよく考えてみれば同じような要素をはらんでいるのかも…

スーツ姿で会見していると、どこか他人事というか、緊迫した状況をわかっていないんじゃないかという印象になりますよね
私としてはどういうタイミングでこの作業着がこれまでのスーツに変わるのかがちょっと気になります
これまでは下のズボンも作業着だったけど、最近はスーツのズボンと上に作業着ジャンバーを着ていることもあるし、政府の人たちの服装を見て「事態が少し変わって来たのだなあ」と感じたりもします
そういう効果もあるのでしょうか…

こういう「演出」的なものも必要なのかもしれないですけど、現場で本当に危険な作業をしている人たちにとっては、あまりいい印象にはならないんじゃないかと思いました